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破邪新聞 昭和五十年一月十一日号 (第3号)
新春を迎えて
年頭挨拶 新春を迎えて 妙縁寺住職 久保川 法章
新生妙縁寺の報告
「以前は陰気で薄暗く、極度に汚染されたお寺でありましたが」
正しい所縁所境の信心を
「このように、我が宗門に於きましては、宗開両祖以来、歴代の御法主に依って一器の水を一器に移すが如く一点の濁りもなく、正法を受け継いで来たのでありまして、御法主を大聖人の御身代りとも仰ぎ、大師範とも仰いで其の御指南に信服していくと言うのが、本宗伝統の信心であり、御法主に従わぬ者は、もはや正宗の信徒とは言えないのであります。」
「此の辺の事情が、前住職の松本氏には理解出来なかったらしく、遂に此の度、御法主上人猊下の命に依って、日蓮正宗の僧侶としての一切の資格を取り上げられて俗人に還り、正宗の僧侶として、皆様方の法要等を行うことさえも出来なくなった事は、誠に残念でなりません。」
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破邪新聞 第3号は、松本尊能師への悪口・中傷にみちた内容となりました。
しかして「此の辺の事情が、前住職の松本氏には理解出来なかったらしく
」と自ら発した言葉は、後にそのまま久保川住職の身に還ってきたことでした。
「還著於本人」とは、このことでしょう。
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