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破邪新聞 昭和五十年一月十一日号 (第3号)
新春を迎えて
松本前住職 擯斥処分に付さる (二面)
先に妙縁寺の住職を罷免された松本日仁は、このたび更に、日蓮正宗より擯斥処分に処せられた旨、宗務院より通知がありました。
既に御承知のとおり、松本は、かねてから宗内をかく乱している元妙信講の浅井沼衛らに加担し、日蓮正宗の教義にたてつくなどの行為を繰り返し、御法主上人及び宗務院から再三訓戒を受け、また元妙信講に加担してはならない等の命令を受けてもこれに従わなかったために、昭和四十九年十一月十八日に妙縁寺の住職を罷免されました。
松本は、同日、久保川新住職が赴任した際、浅井らに要請して元妙信講の青年約百五十人を動員し、同新住職らを集団暴力で脅迫し深夜三時に戸外へ退去せしめる等の言語同断な所為に及び、妨害しました。
その後、東京地方裁判所から、“赴任を妨害してはいけない。久保川新住職の住職、代表役員としての執務を妨害してはいけない”という内容の仮処分命令が出され、これにもとずいて久保川新住職らが寺内に入り、住職としての執務を開始して以後も住職室の使用を妨げ事務の引つぎ及び重宝はじめ財産等の引渡しを拒否しつづけました。
久保川新住職は止むなく更にかさねて仮処分申請をしたところ裁判所が久保川新住職の申し立てを全面的に認め、松本に対して強い説得をした結果、不承無承寺院の運営に最低限必要な引継ぎだけはすますことができました.
しかし、未だ寺院の財産に関する書類等の引き渡しを拒み続け、いまだに全面的な事務の引継ぎは終っていません。
日蓮正宗参議会、責任役員会では、このような松本の不法な行為が宗規第二百四十九条第一号に該当するものとして、去る十一月二十五日松本の擯斥処分を決定していましたが、猊下の御慈悲で、松本に反省の色がみえるならばと考えられ、宣告書の交付を一時留保されていました。
ところが、松本においては反省するどころか、ますます増長して猊下と宗内に対し反逆的態度を取り続けるので止むを得ず十二月二十八日付で擯斥処分の通告を行いました。
これにより、松本は住職の地位のみならず日蓮正宗僧侶としての身分も一切失ったものであり、以後、日蓮正宗はもとより、妙縁寺とも一切関係がなくなりました。
今後、松本は儀式法要はもとより、当宗僧侶としての行為は一切できませんし、万一本人が勝手に行ってもそれは当宗とは一切関係ない謗法の所為であります。
又、宗門の統制処分を受けた者に加担する行為を行った者は、同様の処分を受ける場合がありますので、ご注意下さい、
以上、念のため、檀信徒の皆様にお知らせします。
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いかにも、山崎師団配下の法曹関係者が書いたとみえる、冷たい文章ではあることです。
解散処分を受けた妙信講を庇護してもすべてを失うだけで、得るものは何もないことを一切承知・覚悟の上で、かねてより慈しみ育んで来た妙信講と運命を共にされた松本尊能師の御高徳が、この非情な文章からかえって際だつことでした。
開目抄・下に 『涅槃経に曰く 「譬えば貧女の如し 居家救護の者有ること無く
加うるに復病苦飢渇に逼められて遊行乞丐す、他の客舎に止り一子を寄生す
是の客舎の主駈逐して去らしむ、其の産して未だ久しからず
是の児をけいほうして他国に至らんと欲し、其の中路に於て悪風雨に遇て
寒苦並び至り多く蚊虻蜂螫(ぶんぼうほうしゃ)毒虫のすい食う所となる、恒河に逕由し児を抱いて渡る
其の水漂疾(ひょうしつ)なれども而も放ち捨てず
是に於て母子遂に共倶(とも)に没しぬ、是くの如き女人慈念の功徳
命終の後梵天に生ず、文殊師利 若し善男子有つて正法を護らんと欲せば 彼の貧女の恒河に在つて子を愛念するが為に身命を捨つるが如くせよ、善男子護法の菩薩も亦是くの如くなるべし、寧ろ身命を捨てよ
是くの如きの人 解脱を求めずと雖も解脱自ら至ること
彼の貧女の梵天を求めざれども梵天自ら至るが如し」等云云
』と。
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