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破邪新聞 昭和五十年五月十五日号 (第9号)
猊下 「本門の戒壇」について重要御指南
教師補任式の砌、恒例の御説法
国立戒壇は大聖人の正意ではない
日達上人猊下には、去る四月三十日の教師補任式の折り、総本山大客殿において恒例の御説法を遊ばされました。その中に於て「本門の戒壇」について重要な御指南がありましたので、宗務院の特別の許可を戴き、ここにその一部を抜粋して掲載いたします。
猊下のお心をよく体し、猊下のもとに−結して、いよいよ広布に向って御精進あらんことを切に望みます。
次に、同日の阿部教学部長挨拶の抜粋を右御説法に関連して掲載いたします。
(編集部)
御法主上人猊下御説法
最後の戒壇、「本門の戒壇」において、唯今、よく或る人は国立戒壇ということを盛んにいっております。が、けっして国立戒壇というものが大聖人の正意ではありません。
ある人達は大聖人の正意だといっておりますけれども、大聖人の「国王」ということは、どうであるか。大聖人のお書きの御文書を拝して、国という字は、□(くにがまえ)に或または玉と書いてあるが、その他に大聖人の御文には民とも書いてある。そういう風に違うのである。
けっしてそこにある天皇だけが、国主ではない。□に民と書いてその下に主と書いてある。国主である。それならば、現在の主権が民衆にあっても、これはやっぱり国主といえるのである。必ずしも戒壇ということが、天皇が建てなければならないということは云えない。
ただ民衆の力或はこの御書の意にまかせて、信者の総意によって建ててこそ、本門事の戒壇であるということが、これは一つ心に置いていただきたいと思います。別に本門戒壇を論じた方にだけに云うのではなくして、こういう風になっているということをお伝えいたしまして本日の私のお話しといたします。
阿部教学部長挨拶
申すまでもなく、宗門は本仏大聖人様より唯授一人の血脈を承け継ぎ給う法主上人を中心に仰ぎ、その御指南を根幹として七百年来清浄なる仏法が今日に伝えられたのであります。
今や正に下種仏法が世界に広宣流布する時代にあたり、本仏大聖人の御正意が多くの民衆の信心に顕われ、その功徳が社会に燦然と光被しつつある時を迎えております。
然るにまたその反面、大聖人の御金言の一文を僻解し、真意にそむきつつも、これこそ大聖人の仏法の正義なりとして、執拗に宗門に反抗し、社会を乱す者があらわれております。
御書にも、「文はまつ毛の如し」と説かれ、巷間の言葉にも、「尽く書を信ずれば書なきに如かず」とあります。経文や御書の浅深の次第を判じ、並にその法義の、とくに世諦に関する綱格、表現を時代によって判ずることが仏法の化導上最も大切でありますが、これは一知半解の凡夫の為す能わざる所であります。
即ち真の依義判文による法義の指南は、ひとえに血脈御相伝を拝すべきものと存じます。特に現下の宗門一同の信行の目的と実践に重要な意義を持つ本門戒壇の義については、御当代法主上人の御教導を深く仰ぐべきであります。
かくして、これからの長い期間を宗門にあって御奉公すべき新説者一同が、猊下の御指南をもととし、総本山を中心に団結して行く所に真の宗門の興隆と繁栄が必ず約束されるものと確信致します。
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破邪新聞 第9号は、一面に猊下「本門の戒壇」について重要御指南として、 国立戒壇は大聖人の正意ではないとする細井管長の教師補任式の説法と阿部教学部長挨拶を、上記のように載せています。
細井管長・阿部教学部長の言葉、ここ御遺命守護資料館に留め置きましょう。
同じく一面には 法華講連合会委員長 佐藤悦三郎の名で「法華講中の原点に還ろう」と
「円頂方袍」 と「黒幕」が、第二面には元妙信講物語(三) 「何が彼等(浅井父子)をそうさせたか」 として、藤本栄道・日蓮正宗庶務部長の証言なる記事を掲載しています。
その内容は、昭和四十七年七月六日の妙縁寺下向の折の事に終始しています。その場に同席したのは、早瀬理事・光久仲居・松本指導教師・藤本庶務部長で、藤本氏は「一言一句ももらさぬよう慎重にメモをとりました」と述べ、その場の様子を縷々述べていますが、山崎氏の指導の元で例によって部分的に事実をまじえながら「白を黒」といいくるめる歪曲に終始しています。長文のため、省略とします。
三面には「国立戒壇論の誤りについて 」( 阿部信雄著)の連載・第四回が、四面には
歴史に見る異端の系譜 として、「異流儀 三鳥派、堅樹派、完器講の分析 」 --- 元妙信講との相似明らか --- が掲載されています。
この異流儀云々は未だに一部の顕正会怨嫉グループの人々が言うことですが、山崎悪徳弁護士の末裔を任ずることになると知るべきでありましょう。
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