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日達上人を盗聴! 北条浩氏も承認
こうして、創価学会の圧力で妙信講追い出し作戦に出たものの、捨て身の反撃と宗内世論の攻撃にあい、宗務院は機能を停止してしまった。
池田大作氏は、そこで、七月三日、御法主日達上人に、「何とか、ご自身で妙信講を説得してください」と懇願した。その結果、昭和四十七年七月六日、墨田区の妙縁寺(当時、妙信講の所属寺院であった)に日達上人がお出ましになり、妙信講の浅井甚兵衛、昭衛父子と面談し、説得に当たられることになった。
この話は、池田大作氏が独断で進めたものだった。そして、このことを聞いたとき、私たちは正直言ってまずいことになったと思った。
日達上人は、もともと、正本堂を御遺命の戒壇と断定すること(将来そうなるということもふくめて)を大変しぶっておられた。また、ときに応じて大胆な発想転換の発言をなされることがおありである。浅井父子にくいさがられて、面倒くさくなったり、つい本音が出たりして、訓諭を否定するようなご発言があったら、すべてがブチこわしになってしまう。できるなら、多少のさわぎがあろうと、このまま妙信講を処分で押し切ったほうがよい、というのが、北条、秋谷両副会長はじめ私たちの意見だった。
だが、本心は臆病な池田大作氏は、日達上人の説得工作に、円満解決の望みをかけたのだった。しかし、日達上人のお言葉次第では、すべてが裏目になってしまう危険のあることも明らかであった。むしろ、その可能性の方が強かった。そのときには、ただちに対策を講じ、裏目の被害を最小限に防がなくてはならない。そのためには、一刻も早く、ダイレクトな情報を入手する必要があった。
結局、盗聴という手段が取られることになった。いつも池田氏の思いつきや恐怖心にかられた発作的な行動から生まれる学会を危くするような行為の後始末が、私に非合法な手段を強いるのだった。
私は、北条副会長と相談のうえ、広野輝夫を呼び具体策を相談した。広野は早速、盗聴器の作製にとりかかった。七月五日の午前中に、広野輝夫は、妙縁寺二階の会談場所と予定される部屋に侵入し、欄間と壁の間に電波発信式の盗聴器を仕かけた。
創価学会側は、威圧と理論闘争と脅しで無理やり宗門に、正本堂を「御遺命の戒壇」と言わせて来たことでした。
しかして「日達上人は、もともと、正本堂を御遺命の戒壇と断定すること(将来そうなるということもふくめて)を大変しぶっておられた」と、これまた威圧と脅しの当事者により語られます。
また、盗聴という非合法手段が、一人山崎元顧問弁護士の独断ではなく、北条副会長との相談の上で組織的犯罪行為として為された、という事実が明かされています。
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