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破邪新聞 昭和五十一年五月二十日号 (第16号)
日達上人猊下の御説法
天生原・天生山・六万坊の名称と本宗の関係についての一考察
去る二月十六日、宗務院より「本門事の戒壇の本義」と題する論文が発表されて以来、元妙信講の歪曲は改めて明かにされ、元妙信講浅井の主張する国立戒壇論、天母山に事の戒壇を建立するという僻見は、完膚なきまで粉砕されました。
元妙信講は、うろたえあわてて、ただこの論文を悪書である、宗門史上の汚点であると罵り誹謗するだけです。
かつて国立戒壇は大聖人の正意ではないという猊下のおことばがあった時浅井は、“国立戒壇こそ猊下の内意である。猊下は圧力をかけられているのだ”などと狂気の理論をふりかざし宗門史上がかつてない猊下に対する冒涜を犯して猊下に厳しく糾弾されています。
以来今日に至るも国立戒壇云々を言いつづけ、あろうことか事の戒壇である国立戒壇を天母山に建つべしという、宗開両祖の御遺命には全くない邪義をかまえつづけることは魔の所行と断じざるを得ません。まさに佐渡御者の「これはさてをきぬ日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならず、かへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし」という一節に符合する姿ではありませんか。
国立戒壇ということばは、明治時代において一般的に理解しやすかったので使用したのであり、明治以前には国立戒壇ということはば全くありません。日蓮正宗においては一切使わない、と猊下はいわれております。
ましてや元妙信講浅井の唱える天母山戒壇説は、百六箇抄の「三箇の秘法建立の勝地は、富士山本門寺本堂なり」との御文に照らしても明らかに邪義であります。
今号においてはこうした元妙信講の歪曲に対し、昭和四十五年六月二十八日、「天生原・天生山・六万坊の名称と本宗の関係についての一考察」という猊下の御指南を、再び心に刻みこんでいきたいと思います。
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破邪新聞 第16号の一面は、「天生原・天生山・六万坊の名称と本宗の関係についての一考察」という、細井管長の六年前の説法を掲載しています。浅井会長は明晰に、この「 天生原 即ち大石ヶ原」説を批判しています。
二面・三面には、阿部信雄教学部長と浜中編集長との「特別対談」が、四面には「元妙信講を誣告罪で告訴」として、その告訴状全文が掲載されています。
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