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三大秘法抄拝読
( 事の戒法と申すは是なり )
事の戒法と申すは是なりとは、事といふは理に対する語で、諸法の法性真如の理法を理といひ、因果の上の当体を事と称するのであります。
それ故・戒法に於ては、五戒・十戒等は事体の行動を規律づける故に事戒といひ、此れに対して大乗戒・殊に迹門の義による一乗の円戒は観念的であるが故に、理戒と申すのであります。
此れが通途にいはれる、事戒・理戒の義であります。
しかし乍ら大聖人の本門の本円戒は、天台迹門の理戒なるに対して、事相の体のところに妙法を受持し、行体即妙法なる故に事戒と申されるのであります。此れは下種の機に、下種の妙法を受持せしめられるが故であります。
しかしてまた、妙法受持は御本尊の受持にありますので、そのことが事の戒法になるのであります。しかし乍ら大聖人は一閻浮提広宣流布して仏国土の顕現を期し玉ふ故、戒壇建立を以て事戒法と仰せ玉ふのであります。従つてそれ迄は、義の上の戒法と申し上げるべきであります。
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
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