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  五老僧の異解に就いて

  ( 聖祖の御法門へ異体同心

 日蓮聖人が、御在中に「
異体同心なれば何事も成ず」と常に御いさめなされたにかかはらず、然も聖祖の直弟子として親しく共に教を受けられた、六老僧なる日昭・日朗・日向・日頂・日持の五師と、日興上人が聖祖御入滅後直ちに義絶なされて、後長く聖祖門下に到底融和することのできない宗派分裂の端緒を開かれたといふことは、よくよくのことであらせられたのである。

 其の当時の興尊の御心中を御察し申上げる者、何人か御同情申上げぬものがあらうか、かの最後の義絶ともいふべき身延御離山の節の御消息文には、次の如き一節を記るされて居る。

 「
身延沢を罷り出で候事、面目なさ本意なさ、申し尽くし難く候えども、打ち還し打ち還し案じ候えば、いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ詮にて候え。さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ。日興一人本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り候べき仁に相当つて覚え候えば、本意忘るること無くて候」(原殿御報)

 興尊が五師と不和になつたのは、決して世間の問題からではなく、尤も大切な生命ともいふべき御法門について、此等五師が全く聖祖の御本意に叛き奉つたからである。
 
聖祖の御法門へ異体同心すれば何事も成ずるが、異心になつた方へ同心すれば、聖祖の御法門も遂に絶へて、末法万年の暗愚の衆生は全く出離生死の道に迷はなくてはならぬ。興尊は法を重じて五師を捨てて、唯御一人ひたすら法を正しく御伝へ遊ばされんと心がけられたのである。
 
 若し直弟子の中の御一人の興尊があらせられなかつたならば、私共はどうして仏化を蒙り成仏得脱の修行をすることができやうか。思へば興尊の御苦心のあるところ如何なるかに、感佩(かんぱい)するの他はない。(略)



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