|
日蓮大聖人の教義
( 事の戒壇と義の戒壇 )
既にかくの如く、戒壇とは御本尊の受持にありますが、御本尊と申しますれば前に述べました如く、弘安二年の一切衆生に授与の大御本尊が三大秘法の至極の御本尊でましますので、此の大御本尊様を御安置申上げるところを、本門の戒壇と申上げるのであります。
日蓮大聖人は弘安二年の大御本尊様に御銘記遊ばされて、戒壇の願主弥四郎国重と御したため玉ふてあります。もつて戒壇の御本尊様にましますことは、柄として明らかであります。
しかもまた二祖日興上人は日目上人への御付嘱状に「日興が身にあてて給はる弘安二年の大御本尊を、本門寺に掛け奉るべし」と仰せられてをります。此に本門寺とは戒壇の名称であります。
前の一期弘法抄を拝しますれば、富士に本門寺の戒壇を建立すべしとありますから、明らかであります。
次に三大秘法抄並びに御付嘱状等・上掲の御文に、王法と仏法と冥合して国主が此の御法を御用ひの時は此の戒壇が建立せられる、それを事の戒法と申すと仰せられるのでありますから、その時の戒壇を事の戒檀と申上げるのであります。
従つてその以前は、御本尊のましますところは義理の上の戒壇と申し上げるべきであります。よって此のところを、義の戒壇と申上げるのであります。
此れについてはまた一般世間に於ては、小乗戒が実際・戒律を守つてそれを形の上に顕はしていきますから事戒といひ、大乗の方では教法を観念する上の制法でありますから事戒に対して理戒と申しますので、此れに順じて大聖人の戒は理或であるとして、事の戒といふことはあり得ないと申すものがありますが、此れも大聖人の御法に違つてをるのであります。
繰返して申しますと、大聖人の御法に於ては戒壇建立を事の戒法と致し、従つて其の以前は義の戒壇であります。而して、御本尊を受持し奉るところが本円戒であり、戒壇であります。
(略)
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
戻る 次
|
|
|