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「興尊雪冤録」の妄説を破す
( 初心者への指針 )
四、本門戒壇本尊への誹謗を駁す
( 法華本門の本師・教授・和尚 )
順師の戒壇といふは、叡山の授戒の壇に対するものと、考へてをられたのである。叡山には、根本中堂と大講堂と戒壇院とがある。戒壇院は授戒の時だけであつて、一度戒を受ければ信仰の中心は根本中堂にある。
しかし、得度しやうとする者には此の戒壇が実に重要視され、叡山の貫禄もこれにあるのである。それで叡山をさして、迹門の戒壇と一口にいはれるのである。
順師は、此れに対する意味に於いて、いはれたのである。
今・大聖人の仰せ給ふを拝すれば、観心本尊妙に「伝教大師、粗ぼ法華経の実義を顕示す。然りといへども時未だ来らざるの故に、東方の鵝王を建立して本門の四菩薩を顕はさず」と仰せられて、叡山の根本中堂の本尊を御挙げなされてをる。
しかして三大秘法妙には「王臣一同に本門の三大秘密法の持ちて ・・・ 大梵天王・帝釈等も来下して踏み給ふべき戒壇なり」と仰せられてをる。
此をもつて拝すれば、大聖人は叡山の戒場でなく根本中堂に対して、大御本尊安置の場所として本門の戒壇と仰せ給ふを、領解し奉ることができる。なほ大聖人の本門の大戒は、受持即持戒であらせられるをもつて拝察すれば、然る所以が領解できなければならない。即ち本門の大教の根本道場を、本門の戒壇と仰せられるのは明らかである。
かように拝察すれば、順師が心底抄に説かれる戒壇は、本門寺の霊場の中に得度者・入信者の最初の儀を行ふところを建立すべきを云はれたもので、それに於て仏像を安置する、といふのである。
その仏像とは、迹門の戒壇に於て本師釈迦仏であるが、此れは本尊の図の如く大聖人の御影を安置する。それは主師親の三徳は、大聖人にましますからである。教授とは日興上人、和尚とは日目上人の御影を立てるということになるが、順師は本師のことをいはれたものである。
若し「本尊の図の如く」といふ通り十界を勧請するといふならば、とんでもないことになるのである。よくよく考ふべきである。今、日蓮正宗で申してをる戒壇の御本尊とは、本門寺の正本堂に安置し奉る御本尊である。此のことは、日興上人の日目上人への御付嘱書で明らかである。
(略)
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
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