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富士門徒の沿革と教義
( 本国土法門 )
日蓮聖人が国家諌暁に極度の努力を用ひられたのも、この法門を理解しないで論じては、徒に権力を追求した猟官運動であらうと、日蓮宗の法門を知らないで日蓮伝を書く歴史家の犯し易い誤を訂正するのに、困難を感じるのではあるまいか。
日蓮聖人は清澄山主の侯補にも登り、愛染堂の別当にも擬せられ乍ら、其を斥けてゐる。さういふ人が今更、請用を望む為に国諌をしたのではない筈。
又・政府の力を布教に利用したいなら、先づ始に若干の官敬を得てから其を足場に拡げて行くこと、後年の二位僧都什師、大覚大僧正等の如くする方が順当である。
其をしないで唯・ひた押しに武家政権に追ったのは、夙に言はれるやうに毒鼓の縁を結ばしめるのが主目的であったとするならば、実質的に無力であった京都に天奏したのは法華の信謗を問ふだけでなく、他に重大な理由が有ったにちがひない。
其が本国土法門だ。法華有縁国の王に在すが故に、結縁を新にする為に天奏されたのではないか。たとへ今・御受用が無くても、天奏に依って本国土妙を叩発することは、能化本因妙の当然の力用であらう。
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
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