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富士門徒の沿革と教義
目 次
著者遺影
〔序 論〕
一 撰述の理由
二 主用史料について
三 記述上の約束
四 導入 門徒史略記
〔本 論〕
第一篇 血脈相承
第一節 二箇相承
一 日蓮宗に於ける血脈相承
二 六老補任とその不次第
三 大導師の譲状
イ 弁阿日昭師
ロ 大国阿朗師
ハ 白蓮阿興師
四 興師の大導師意識
五 弟子の称歎
六 結語
第二節 口伝相承
一 日蓮宗に口伝法門があるか
二 口伝相承は如何に扱はれて来たか
三 口伝は何故に行はれたか
四 口伝のつたへかた
五 口伝の批判
第三節 両巻血脈
一 本因妙抄
イ 古記にあらはれた本因妙抄
ロ 本因妙抄の内容批判
二 百六箇抄
イ 古書に探る百六箇抄
ロ 百六箇抄の内容の批判
第四節 その他の口伝法門 甲
イ 産湯相承
ロ 本尊七箇口決
ハ 教化弘経七箇の伝
第五節 その他の口伝法門 乙
イ 本尊三度相伝
ロ 寿量文底大事
ハ 三大秘法口決
ニ 三時弘経次第
ホ 小結
拾 遺
一 円極実義抄の著書
二 日尊師と梨樹の事
第二篇 本尊妙法大曼陀羅
序
第一節 研究の方法
一 科学を仏法の体内に摂すること
二 妙蔓の分析
第二節 依用の妙蔓
一 大判
二 日文字の分析
三 標準を何にとるか
(付)妙蔓の名称
四 判定の実際
イ 文永前期(佐前 佐渡)
ロ 文永後期(佐後)
ハ 建治期
ニ 弘安元年
ホ 弘安二年
へ 弘安三年
ト 弘安四、五年
チ 小結
第三節 在座諸尊の頻度と大きさ
第四節 一念三千妙法大蔓茶羅分類図表
一 略記号
二 中尊の分析
イ 首題の形
ロ 首題の流れ
ハ 首題と判名の関係
ニ 妙蔓の階級
ホ 小結
第五節 日蓮聖人一代三段の分節
一 一代三段とは何か
二 佐渡正宗分説は間違である
三 まことの正宗分如何
四 小結
第六節 妙法大蔓茶羅所顕法門
一 中尊を後にして十界の列衆ばかりを相手にしては研究資料が不足する
二 中尊は首題と判名である
三 列衆の釈迦は中尊の脇士である
四 迹仏は何故取払はれたか
五 明王について
六 座配の上下について
七 両尊について
補 遺
一 日蓮聖人は報身か応身か
二 無作三身と無始古仏の同異
第七節 仏像問題
一 色法像では自受用身は現し難い
二 二尊四士は本尊にならない
三 一尊四士について
第三篇 相伝法門と富士門徒
序
第一節 血脈相承をめぐって
一 日目師の天奏と遷北
二 東坊地事件
三 百貫坊問答
四 日代八通状について
五 目師遷化のあと始末
第二節 弘安二年大曼陀羅
( 国立戒壇は閻浮同帰への前提 )
第三節 色法像の造立
一 聖人在世に於ける色法像
イ 随身仏と妙蔓
ロ 檀家の色法像
二 滅後の色法像
イ 波木井日円の造立
ロ 上行院尊師の造立
三 要法寺の造像
イ 広蔵辰師の造仏論
ロ 寛政の法厄序説
ハ 永禄和談のこと
ニ 法厄始終
ホ 法厄の物語るもの
第四節 日蓮本仏論
一 六巻抄
(一) 三重秘伝抄
(二) 文底秘沈抄
( 直に国立戒壇を説く所は富士門徒 )
(三) 依義判文抄
(四) 末法相応抄
(五) 当流行事抄
(六) 当流三衣抄
二 六巻抄の批判
( 本国土法門 )
三 田中智学居士の本仏本化同体論
四 日蓮本仏論の宗教的意義
五 本尊書写のこと
〔結 論〕
〔拾 遺〕
一 口伝相承の内容について
二 行学院朝師の教学
三 門徒の分裂傾向
四 仏身論の大転換
五 折伏について
( 悪を破るは国家機関 )
六 跨節の実証主義
七 化儀を論ず
八 幕政下の化儀
( 宗旨を失うは頽廃の集団 )
著者 松本佐一郎 略歴
大正四年、横浜市常盤町に生る。昭和九年、東京帝国大学文学部に進み、史学科を専攻。昭和十六年、東京帝国大学大学院(国史専攻)を終了。昭和三十九年九月
御逝去、享年 四十九才。法名 進達院和道日直居士
著書
尋勝論 (法山閣)
淵底二論 (法山閣)
まことに 松本佐一郎氏のこの遺著 「富士門徒の沿革と教義」は、爾来・三十有余年を経むとする混迷の今日
より一層・燦然たる輝きを増し、さらに未来に渡ってわれら富士門徒の昏く危ふき路を照らし導き給ふことでありましょう。
深く切に この比類なき松本氏の業績を慕ひ恭謝し奉り、もし願はくはその衣鉢の一端をまたになふことあって、万分の一なりともその深遠の學恩に報ずることあらむことを。
(
平成十四年五月十五日、櫻川
記 )
顕正会の「御遺命守護」に関わる部分のみ、御遺命守護資料館の貴重な資料として抜粋して紹介しました。著作権者からの指摘・要請があれば、相応の対応を検討します。
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