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仏教手ほどき ( 仏教手保登記 )
序 文
日本の国は今や再建に当つて、政治、教育、産業、経済、社会機構等と諸般の面に着々と改造が行はれ、既に相当に身に着いてきたが、此の間に於て、ひとり道徳の問題は猶未だ低迷のうちに置き去られ、全く五里霧中の有様である。
則ち終戦と共に従来の道徳は封建道徳として一蹴された。而してそれに代わるべき指標を見出せず、各自は勝手な方向に歩みを進め、混乱衝突を惹起してをる。それが為に陰惨な空気は日を追ふて増大してをる。折角の改造も単に表面の形にすぎない。此れが現在の実情である。
(略)
以上の如く考へるとき、今日・日本が建設せんとする平和、文化、道義の国家は仏教の理解と実践との上にのみ築くことができるといはなくてはならない。個々の日常生活に於ても同一である。かくて仏教の意義は重大であると信ずる。
私は日本の人々、否・世界の人々に仏教を学びしかもその真義を体得せられんことを提唱し切望する。
本書の著者・中村徳之進氏も、もとその志を此に以て本書を上梓せられた。しかも氏は仏教が難解でありて近づき悪いとの声があるの対し・仏教の理論の組織体系を簡明平易に説述し・その帰趣するところの真義を明かにせられたのである。真に一般世人にとって好個の手引書である。
本会が茲に再び本書を取り上げて出版する所以のものは・如上の目的が全く合致してをり世を稗益すること大なるものがあると思惟するからである。此のことはまた在天の著者が悦びとするところと信ずる。
本書の再販に当り、日亨上人猊下がまた改めて御校閲を賜ったことは本書をしていよいよ珠玉として光彩を放たしめられるもの・謹んで感謝の意を表し、尚出版については一に創価学会の尽力によるところでその護惜の道念に対してここに敬意と感謝とを表する。
昭和二十四年十月一日
日蓮正宗布教会々長
堀米
泰栄
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
この書 「仏教手ほどき 」は、本宗の一信徒たる中村徳之進氏が、 昭和三年九月上浣(旬)にしるしたもので、自序によればその際に堀日亨師(猊下)に原稿の校閲と指導を賜り、また題字の揮毫までも頂戴したことが知られます。そしてその二十三年後、またしても再販に際して堀上人に改めてその遺稿の校閲を賜ったこと、まさしく本書をしていよいよ「珠玉」としての光彩を放たしめるものでありましょう。
わたしは寡聞にして、本宗の先達たる中村徳之進氏の事績を詳しく知りませんが、本書をひもといてみるにその内容たるや刮目に値する、とかんじられることでありました。もとより、堀上人の校閲と指導を賜ったことであれば、その水準の知られるところでありましょう。
さて本書は、また昭和二十六年十月十三日に
宗旨建立七百年慶祝記念出版として再販され、上記はその際の日蓮正宗布教会々長であった堀米日淳師の序文でありました。
いま・また、「失われた十年」などと云われ、小泉首相の「構造改革断行」の掛け声が響くばかりで、なかなか明るさが見えずしてこの国の行く先は暗雲に覆われていることでしたが、敗戦後の状況を述べた堀米師の
「指標を見出せず、各自は勝手な方向に歩みを進め、混乱衝突を惹起してをる。それが為に陰惨な空気は日を追ふて増大してをる。折角の改造も単に表面の形にすぎない。此れが現在の実情である」の言葉が、再び今日に同じような響きを以て読めることでありました。
それにしても、このように「是は是・非は非」、在家であろう出家であろうと、衆生利益に資する言明とあれば時の猊下が校閲・揮毫してバックアップするという、うるわしい宗門の事績が、ここにみられることでありました。
歴史に「もし」はないことでしたが、あの昭和四十五年のとき..もし六十六代日達上人が妙信講の「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の赤誠の諌暁に対して断固として支持、きっぱりと創価学会・池田会長を誡めていたならば、今日の混迷とてもなかったことでありましょう。しかして、すべては「時のしからしむるのみ」でありました。
(
平成十四年二月二十二日、櫻川
記 )
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