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    国立戒壇論の誤りについて

 
二、国立戒壇の由来

  (
田中智学の国立戒壇論

 彼の国立戒壇論の要点をあげるならば

 一、大聖人の御一生は国教の奠定(てんてい)にある。
 二、大聖人の本門戒壇は国家中心である。世界の教法統一の根本として国家の道法化を目標とすべし。
 三、三大秘法抄の王仏冥合とは法国冥合ということであり、その本門戒壇は、勅命国立の戒壇である。

 以上の三点を一言でいうならば、彼の戒壇論は国家中心、国家対象ということに尽きると思う。その諤々の議論は、あくまで田中智学個人の見解であり、大聖人の仏法を曲解するところより生じたものである。

 日蓮大聖人の仏法は、国家次元の宗教ではない。人類共通の根本テーマである生命を根源的に掘り下げた、悠大なスケールをもった大宗教であり、一明治、大正の時代に通暢して、他に通じない国家主義団体の思想とは自ら月鼈(げつべつ)の相違がある。

 さて、大正より昭和初期に至る間、右の国柱会を中心として、一般日蓮門下に富士戒壇論が盛んになるにつれて、必然的に本宗僧俗との間に論議接触が生ずるようになったのである。
 国柱会系の富士戒壇論に共鳴する者は、その意義を論じつつも、肝心なる戒壇に奉安すべき本尊の実体について明らかでなく、或いは仏像造立といい、或いは大聖人御直筆御本尊中より時の国王の奠定されるところであると論じ、甲論乙駁帰趣を知らない有様であった。



 阿部教学部長は「日蓮大聖人の仏法は国家次元の宗教ではない」とし、さらには「生命を根源的に掘り下げた悠大なスケールをもった大宗教」と述べて、我見にまかせて“大聖人の仏法を曲解”し、一方的に<規定>したのでした。
 まず、この「国家次元の宗教」との謂いようは、要は“国家中心”“国家対象”ということを示唆することなのでしょう。

 日蓮大聖人の仏法は、「
日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(諸法実相抄)であって、個人救済のフェーズがまずは前面に出ることでしたが、必ず「剰へ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(同)であり、最終的には「三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法」(三大秘法抄)に帰結することでありました。
 すなわち日蓮大聖人の仏法には、“個人救済のフェーズ”と、“日本国の広宣流布(本門戒壇建立)のフェース”と、“一閻浮提広宣流布のフェーズ”が必ずや含意されることでありましょう。

 しかるに阿部教学部長はあえて日蓮大聖人の仏法と国家との関係を無視し、“何が何でも日蓮大聖人の仏法は「国家」とは無縁なのだ”、と論じたいのでありましょう。もしそうならば、日蓮大聖人の三度の“国家諌暁”は、いったい何だったのでしょう。

 「
夫れ国は法に依て昌へ法は人に因って貴し、国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや」(立正安国論)、「他方の賊来ってその国を侵逼し、自界叛逆してその地を掠領せば、豈驚かざらんや豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん」(同)、「汝早く信仰の寸心を改めて、速かに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり」(同)と、身命を的として国家を諌暁された日蓮大聖人は同時代の鎌倉仏教の諸師達と、この点こそがまた大きく異なるところでありました。

 さらに御遺命に云く、「
国主此の法を立てらるれば」と。阿部教学部長はどのような“根拠”を以てして、日蓮大聖人の仏法を“国家と無縁”と強弁するのでしょう。もちろん阿部教学部長においては、こうしたことは百も承知の上のことでありました。日蓮大聖人の仏法は、“国家中心”“国家対象”という範疇だけに収まるものでないことはもとより云うまでもありませんが、田中智学にコトよせてその点だけを取りだして「否定する」ことで、あたかも日蓮大聖人の仏法が“国家と無縁”だと印象づけるような、悪質にして愚かしい“詭弁”を、あえて弄したことでありました。
 もし国家に「二難」が起これば、必ず国民は塗炭の“苦”を受けましょう。さればこそ日蓮大聖人は、「
一切の大事の中に国の亡びるが第一の大事にて侯なり」(蒙古使御書)と。

 さて、迹化の天台大師は“本門の十妙”において、「
本国土法門」を説いたのでした。いわんや本化の日蓮大聖人においてをや、でありましょう。
 次に、「生命を根源的に掘り下げた大宗教」なる“創価学会イデオロギー”の受売り・踏襲は、今日に至るまで放棄されていない(「日蓮正宗入門」、平成十四年一月)ようですが、この点についてはまた別途論じることとしましょう。

                          ( 平成十四年十二月三十日、櫻川 記 )


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