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    国立戒壇論の誤りについて

 
五、世界的宗教としての仏法

  (
世界における宗教の起源発達の歴史

 已上のごとく国立戒壇論者の中には、宗祖大聖人の仏法を将来国教に奠定すべく、またそのために、憲法における宗教の自由を敢て改変すべき思想的要素があるものと推測される。
 しかし本来大聖人の下種仏法は、一団に跼蹐するものでなく、広く世界民衆を救済する世界的宗教の最たるものである。この点から国立戒壇論の執見を教訓したいと思う。

 世界における宗教の起源発達の歴史を通観するとき
  一、種族的宗教
  二、国民的宗教
  三、世界的宗教
の三に分類される。これについて比屋根安定著、世界宗教史(七三頁)の一節を左に引用する。

 「
先ず種族的宗教の特質を抽出して些か説明しよう。(中略)古代にては個人はその所属する社会の一員たる資格に依ってのみ、有形無形の生活資料を受用することを許可された。(中略)原始民族にとって宗教は社会団結に直接関係した事柄であった。例えばアニミズム(註…霊魂信仰)は社会共通の心理生活にて、タブウ制度は原始時代における宗教的道徳の社会性をしめし、トオテム崇拝(註…集団成員の特殊な自然種信仰)は種族の団結を固うする宗教的機能をなし、(中略)神話はその種族の業績を世々に語りつぎ語り伝える材料であった。
 然るに倫理教の時期に入ると種族が漸く国家を構成して来て、宗教も著しく国家的に傾いてくる。かくて国家の基礎が固くなるに伴うて、宗教は国家固有の宗教となり、或る国民に限って信奉せられ、他国民はその宗教信仰に与らない。ギリシャやローマの宗教、バビロニヤやアッシリヤの宗教、ユダヤ教、神道の如きは国民を単位として之に基いている。ユダヤ教の神のエホバがアッシリヤの神アシュシェルと同じく嫉妬の神と呼ばれたり、欽明天皇の朝に物部氏や中臣氏が、蕃神(仏)を祭らば国津神の冥罰を蒙るべしと懸念したのは、ユダヤ教や神道が国民的であった消息を語ろう。
 然るに国民が世界という広い観念を抱き、宗教も伝道を主にして来ると、宗教は発達して世界的宗教に化せざるを得ない。世界的宗教は広く伝道することを主眼とし、国民という障壁を撒し、地の果てに至るまで信奉さるべき宗教となる。キリスト教や仏教は世界的宗教に属し、信者がいかなる国籍の人であるかは措いて問わず、仏教経典や新約聖書には、世界的宗教の宣言が散見している


 やや長いが敢て引用したのは、第二の国民的宗教の説明において、国教の背景となる宗教の時代、性質、程度等が浮き彫りされていると共に、第三段階としては世界的宗教としての仏教の位置が示してあるからである。



 阿部教学部長は、「世界宗教史」なる“外道”の宗教史という<他義をまじえ>て、「大聖人の下種仏法は、一団に跼蹐するものでなく、広く世界民衆を救済する世界的宗教」と述べ、「国立戒壇論の執見を教訓」するのでした。

 すなはち 広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へ」(諸法実相抄)、一切の万民皆頭を地につけ掌を合せて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし」(撰時抄)、「其の義なくば日本国は一同の南無妙法蓮華経なり」(報恩抄)、「日本国一同に日蓮が弟子檀那と為り」(諸人御返事)、「天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え」(如説修行抄)、日本国一時に信ずる事あるべし」(上野殿御返事)の時にあっては、法華有縁の日本国の王法も自ずから憲法・国法が変更されて“王仏冥合”し、“勅宣並びに御教書を申し下し”て本因下種の<三大秘法>の「本門戒壇」を建立すべし、と遺命・厳命された日蓮大聖人を“外道の宗教史”の視点から、阿部教学部長はこうして<教訓>するのでした。

 「
かへりて日蓮を教訓して 我賢しと思はん僻人等」(佐渡御書)とは、誰人のことでありましょう。
 「
日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし 我等はやはらかに法華経を弘むべし と云んは、螢火が日月をわらひ 蟻塚が華山を下し 井江が河海をあなづり 烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし わらふなるべし」(同)とは、余人ではありません

 “日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし”として、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり」(身延相承書)の御遺命に“他義をまじえ”、民衆立・宗門立の「正本堂」こそ“事の戒壇”よ“本門の戒壇”よと池田会長による政府照会への欺瞞回答を扶け、“我等はやはらかに法華経を弘むべし”と却って宗祖・大聖人を<教訓>したのは、他でもありません。
 日月をわらひ・華山を下し・河海をあなづり・鸞鳳をわらふ “我賢しと思はん僻人”とは
、まさしく阿部教学部長でありました。「
仁王経に云く 『三宝を護る者にして 転た更に三宝を滅し破らんこと、師子の身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず』 」(災難対治抄)と。

                          ( 平成十五年三月六日、櫻川 記 )


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