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    国立戒壇論の誤りについて

 
五、世界的宗教としての仏法

  (
仏教は本来が世界的宗教

 右に明らかな通り国教の形をとるのは、日本においては神道あたりまでの第二段階の宗教である。神道が軍国主義者に利用され、第二次大戦前までは、明治憲法の信教の自由の規定にもかかわらず、これを空文化し、神社信仰が国教的性格をもって国民に強制されたことを記憶する人は多い筈である。
 立憲政治以後においてすらかかる状態があることは、神道が本来祭政一致態勢から出発したものであり、国教的性格を有つことを物語っている。
 
 しかるに仏教は本来が世界的宗教なのである。その教理のドグマを排する普遍妥当性といい、一切衆生救済を標榜する慈悲の広大さといい、一国一地に執われることなく、より自由により正大に伝道救済へ進む性格を有つのである。
 キリスト教もその内容と実績において世界的宗教の面目を保っているが、生命の原理を掘り下げた教義内容よりすれば当然仏教が勝れておる。この点現在より未来を指向するとき、仏教こそ真の世界的宗教といえるであろう。

 また仏教の中においても、小乗より大乗、権大乗より実大乗、迹門より本門、本門より文底下種の大法と従浅至深して、その教法の真実性と民衆救済の確実性は益々明らかとなる。
 日蓮大聖人の仏法はまことに広大な仏教の真髄であり、その目的こそ実に一閻浮提広宣流布と世界民衆の救済に存するのである。かかる大仏法を日本の国教とすること自体、第二段階の神道のあたりまで逆行し、引き下げる時代錯誤といわざるを得ない。

 国立戒壇の主張も右の国教論と終局的には同致同轍になると思われる。すなわち国立戒壇を目標として実践に移すとき、国家で建立する為には、国が特定の宗教に関与しないという現憲法の改訂が必要となる。その為には国会の議決を要しかつ国民大多数の支持がなければならない。それがあったとしても猶かつ異宗教異宗派の必死の反対と抵抗は当然ありうるので、従って必然的な対抗手段としての制圧が必要となることも想像される。
 かつてローマカトリック教会に於て異端者禁圧のため設けた宗教裁判が、十三世紀より十八世紀までの間、いかに惨虐と酷薄をきわめ、血を血で洗う非人道的なものであったかは西洋史が証明している。これと同様な事態が現出しないと誰が言えようか。



 では、日本国の“国教”の歴史を、紐解いてみましょう。欽明天皇の朝に物部氏や中臣氏が、蕃神(仏)を祭らば国津神の冥罰を蒙るべしと懸念したのは、ユダヤ教や神道が国民的であった消息を語ろう」との比屋根氏の記述を以て、阿部教学部長は「右に明らかな通り国教の形をとるのは、日本においては神道あたりまでの第二段階の宗教」なのだ、と飛躍した論理でコジツケるのでしたが、それでは比屋根氏もさぞ迷惑なことでしょう。
 欽明天皇の当時、天皇家や蘇我氏や物部氏や中臣氏等の氏・姓の豪族は、それぞれの氏族の神々を奉じていたのでした。“国津神”というのは、そうした神々の総称ではあっても「神道」としての教義があったわけではなく、いわんや「国教」などとはほど遠いありようでした。

 そうした背景のもと、聖徳太子は
“十七条憲法”を設けてその第二条に 「
篤く三宝を敬え。三宝とは、仏と法と僧なり。すなわち四生の終帰、万国の極宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教うるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか柱かる直さん」と。
 これ、豪族たちが各々奉ずる神々(国津神)を制して、仏法をして“国教”と位置づけた聖徳太子の明文でありましょう。むしろ「神道」という言葉が成立したのは後の大宝律令であり、その「概念」の成立もまた仏法よりはるか遅れたことであったことを、歴史家たちは示しているのでした。

 また 聖武天皇が天平二十一年 東大寺に行幸した際に「
三宝の奴」と称した歴史上の事実をも、“神道のあたりまで逆行し 引き下げる時代錯誤”と云いつのる阿部教学部長には、どうしても無視したい事なのでありましょう。
 神道が“部族的・民族的宗教の性格を持つ”ことはたしかでしょうが、阿部教学部長が云うように“神道は「国教的性格を有つ」が仏教は「本来が世界的宗教」だ”とするほど単純な事態でないことが、上記の“わが国”の歴史の事例を見ただけで知られましょう。神道が事実上「国教」の位置を占めたのは、西欧の“立憲君主制”に倣った明治以降の、わずかの期間でしかありませんでした。

 加えて、阿部教学部長は「猶かつ異宗教異宗派の必死の反対と抵抗は当然ありうるので、従って必然的な対抗手段としての制圧が必要となることも想像される」と、余計な心配をするのでした。大聖人の広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へ」(諸法実相抄)、日本国一同に日蓮が弟子檀那と為り」(諸人御返事)、日本国一時に信ずる事あるべし」(上野殿御返事)の厳たる仰せを、阿部教学部長は<他義>を基として“頑として”、あくまでも信用しないのでありました。
 それにしても、阿部教学部長の云う 「必然的な対抗手段としての制圧が必要」とは、およそ僧職者にあるまじき、恥ずべき<言動>ではないだろうか。日蓮大聖人は、生涯を通じて大難四ヶ度・小難数知れずの“
三類の強敵”を一身に受け、そこに於いて「必然的な対抗手段としての制圧」などと云った、テロリストたちと同じレベルの振舞いが微塵たりともあったでしょうか。

 大聖人の「
日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信、法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば、争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ」(種種御振舞御書)、「今・日蓮は(略)二十八年が間又他事なし、只・妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり、此れ即・母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(諌暁八幡抄)、「我が弟子等之を存知せよ、日蓮は是れ法華経の行者なり、不軽の跡を紹継す」(聖人知三世事)、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、此の三軌を一念に成就するなり。衣とは柔和忍辱の衣当著忍辱鎧是なり、座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり、室とは慈悲に住して弘むる故なり、母の子を思うが如くなり」(御義口伝)、「十八空の体とは、南無妙法蓮華経是なり」(同)等の仰せは、“外道義”を基とする“力の信奉者”の阿部教学部長には、あたら“戯れ言”に聞こえるのでありましょうか。

 さて、ここで「必然的な対抗手段としての制圧が必要」だと想像した、阿部教学部長ご自身のその後の“振舞い”は、どうだったでしょう。「異端者禁圧のため設け」た宗制宗規を楯に、「
本門戒壇」の法義を死守し政府への欺瞞回答撤回を求める妙信講を断罪し、宗教権力を以て力まかせに解散処分・信徒除名の”制圧”を遂行したのでした。
 さらにその後も、「
母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲」とはほど遠くして、正系門家の法脈に浴した多くの信徒を切って捨てたのでありました。そして、池田名誉会長と”惨虐と酷薄をきわめ 血を血で洗う非人道的”な「修羅と悪龍」(報恩抄)の合戦を、まさしく地で行ったことでした。これらの事態の一切の根源こそ、正本堂を以て「本門戒壇」とした法義歪曲と政府誑惑に、宗門が加担し与同したことにあったのでした。

 国立戒壇論者に向けて述べられたはずの「制圧が必要」との指摘・批判は、むしろ阿部教学部長自身の<信条>を相手に投影して発せられた言葉であったことを、その後の事実が物語っています。
 悲しいかな、
ここで述べられた「これと同様な事態が現出しないと誰が言えようか」との阿部教学部長の<言葉>だけは、やがて宗門に将来し・たしかに真実」であったことでした。

                          ( 平成十五年三月九日、櫻川 記 )


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