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国立戒壇論の誤りについて
六、三大秘法抄の戒壇の文意
( 「流行の広布」と「流溢の広布」 )
さて右の訓諭の意を三大秘法抄の「時を待つ可きのみ」の御文に照すと 「一期弘法抄、三大秘法抄の意義が、完全に顕現するときは未来であるが、すでにその用意としての建物を建てるべき時が来ており、それが正本堂である」という御意と思われる。
けだし王仏冥合の文意は、前にも述べたが冥合の二字に於て、時間的に相当の経過が考えられ、その間ある顕著な趣向的時点より、達成に至るまでの道程が当然存すべきである。換言すれば、流行の広布熾盛なる段階より、流溢の広布への道程の全体が王仏冥合の時と考えるべきである。
とすれば宗門未曽有の流行の広布の相顕著なる現在も、王仏冥合の時と云える。此の時に感じて法華講総講頭池田大作先生が大願主となって、正本堂を建立寄進され、日達上人猊下は今般これを未来における本門寺の戒壇たるべき大殿堂と、お示しになったのである。
もしいまだ建物建立の時も至らずと考え、三大秘法抄の前提条件も整わないとして、前もって戒壇を建てるのは「時を待つ可きのみ」の御制誠に背くという意見があるとすれば、それは不毛の論に過ぎない。
時を待つ可きのみの文は、たんに建てるべからずという御制誡としてよりも、広布への大確信と共に時至るを待てとの御意であり、時至らば進んで建立にはげむべしという激励を言外に込められたものと拝される。
そして三大秘法抄の戒壇の文全体にたいし、今迄述べ来たった拝し方において当然いえることは、現在戒壇建立の意義をもつ建物を建てるべき時であるという事である。再むしろ我々宗門僧俗の信心の熱情の表われとして、進んで全員一致し、事の戒壇を建立して広宣流布に邁進することこそ大切である。
したがってこれに反対し誹謗する者は、猊下に反し、また三大秘法抄の文意にも背くものとなる。
「時を待つ可きのみ」を、“時が今日すでに到来”と論じた阿部教学部長は、その意義を “すでにその用意としての建物を建てるべき時が来ており、それが正本堂である”と、自らの誑惑の“種明かし”をします。同様に、“現在も王仏冥合の時”と云えるのであって、池田会長寄進の正本堂こそ、“未来における本門寺の戒壇たるべき”だ、と。
これまで見てきた、種々の“矛盾・齟齬・自語相違”等、そのすべては一貫して正本堂をして「本門戒壇たるべき」とする一点に、一切が収斂するのでした。
そもそも、「流行の広布」とは一国同帰・広宣流布への過程であり、「流溢の広布」とは、まさしく一国同帰・広宣流布の「暁」を指す言葉でありました。“流溢の広布への道程”とはあくまで“流行”の段階であって、どうしてその“全体が王仏冥合の時”となりましょう。それでは、大聖人御在世から、“王仏冥合の時”となってしまうことでしょう。
“流溢の広布への道程”は “未だ謗法の徒多”いのであって、これ “流溢の広布”という言葉を用いて眩惑しようとしただけで、何の説明にもなり得ていないことでしょう。
さて、ここでついに阿部教学部長は、“時も至らず条件も整わないまま、前もって戒壇を建てるのは御制誠に背くという意見があるとすれば、それは不毛の論に過ぎない”と、妙信講の諌暁に対して居丈高に開き直ります。さらに、“これに反対し誹謗する者は猊下に反し、また三大秘法抄の文意にも背く”と、断定します。
阿部教学部長こそ、宗祖・大聖人並びに歴代先師に背き、国家を欺く創価学会の誑惑を扶け、さらに信徒から「戒壇建立」と偽って集めた莫大な財を蕩尽し、何よりも三大秘法抄の文意に背くの人でありましょう。
( 平成十五年四月九日、櫻川
記 )
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