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国立戒壇論の誤りについて
六、三大秘法抄の戒壇の文意
( 「事の戒法」の解釈 )
さて次の「事の戒法と申すは是なり」について、「事の戒法」の語自体としては、解釈上三つの意味が含まれている。
その第一は天台の迹門の理戒に対する本門の事の戒法という相対的な立場である。すなわち釈尊の一代仏教中、小乗権大乗では五戒十戒・比丘の二百五十戒・比丘尼の五百戒十重禁戒・四十八軽戒等を説いて、行者の実際の行動を律するゆえに事戒という。
これに対し迹門の円戒は、これらの事を捨て、専ら法華の理に意を注ぎ、観念することにより悟りを顕す。これいわゆる廃事存理の法華一乗戒である。三大秘法抄(全一〇二二)に「この戒法立ちて後・延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき処 …」と仰せあるごとく末法に入っては無益の戒なのである。
これにたいし末法の大聖人の仏法では、現実に吾々が不受余経一偈の誓いをもって下種妙法を受持し、その行体が即妙法蓮華経である故に事戒といわれるのである。しかるに末法の妙法とは御本尊であるから、御本尊を受持することが天台の理戒にたいし事の戒法となる。また御本尊安置の場所を戒壇というから、大聖人の仏法において戒法は即戒壇に当るのである。
第二の事の戒法(戒壇)とは、大聖人の一期弘通の本懐たる三秘惣在の本門戒壇の大御本尊であり、またその所住の処である。釈尊の法華経本迹二門が通じて迹門の理の一念三千であるに対し、大聖人の仏法は寿量品文底の本門事の一念三千の法体である。故に大聖人の本懐の戒壇の大御本尊は三秘惣在の事の法体であるからその当体直ちに事の戒法であり、事の戒壇である。これに対し、僧俗信心の徒が、夫々の住所において書写の御本尊を受持する処、その義が事の戒壇に当るのである。
第三には正しく三秘抄の文のごとく、広宣流布して仏国土が顕現される処を事の戒法というのであり、先師は事相の戒壇ともいわれている。これは、要するに妙法受持の功徳が社会層の内面に広く深く浸透し、仏法の正義があらわれ、平和福祉社会に正法が顕現する、いわゆる王仏冥合の理念が現実に現われること、それが根本的な本門の金剛宝器戒の捨悪持善の相である。
ただし、一切の民衆に妙法の功徳が授与されるのは、本仏大聖人の仏法の根本法体たる、本門戒壇の大御本尊がまします故である。ややもすれば三大秘法抄の広大雄壮な御文に、眼を奪われ勝ちであるが、その文の裏底には戒壇の大御本尊が厳としておわしますことに注意すべきである。この大御本尊は三大秘法惣在の御本尊であり、三大秘法抄(全一〇二三)の「今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に、芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」の文の「事の三大事」に深く心を致すべきである。
故に日達上人の「本門戒壇の大御本尊のおわします処、何処何方においても事の戒壇である<」という御指南が示される所以である。従って現在の奉安殿も事の戒壇であり、正本堂に戒壇の大御本尊がお出ましになれば、その処直ちに事の戒壇である。
これが訓諭の「現時における事の戒壇」の意味である。故に三大秘法抄の「戒壇 … 事の戒法」の文は、事相の事の戒壇を示されるものであり、「現時における事の戒壇」とは根源の戒壇を指すのである。
「事の戒法」とは、本宗では“二つの意義”を以て論じられます。一つは、“受持即観心”の意であり、迹門の理戒に対して本門・三大秘法の本尊を受持することを「事の戒法」(受戒・持戒)と名付けます。
二つには、本尊所住の処たる“義の戒壇”に対して、一国同帰・広宣流布の暁に建立すべき「本門寺の戒壇」の意でありました。
されば、日淳師は「大聖人の本門の本円戒は、天台迹門の理戒なるに対して、事相の体のところに妙法を受持し、行体即妙法なる故に事戒と申されるのであります」(三大秘法抄拝読)、「妙法受持は御本尊の受持にありますので、そのことが事の戒法になるのであります」(同)と。
「しかし乍ら大聖人は一閻浮提広宣流布して仏国土の顕現を期し玉ふ故、戒壇建立を以て事戒法と仰せ玉ふのであります。従つてそれ迄は、義の上の戒法と申し上げるべきであります」(同)と、明快にお示しです。
さて、阿部教学部長は「事の戒法」の解釈として、三つの意味を掲げてその意義を誑惑するのでした。
その第一とは、“御本尊を受持することが天台の理戒にたいし事の戒法となる”までは、その通りでした。しかし
“大聖人の仏法において戒法は即戒壇に当る”というのは、“それ迄は義の上の戒法と申し上げるべき”とする宗義を隠し、また“受持・持戒”と“事壇建立”とを混同・混乱せしめ、宗義に背くの謂いようでした。
阿部教学部長は、こうして“戒法は即戒壇に当る”と述べて、強引に正本堂を「事の戒法」とする根拠とします。
次に、第二の事の戒法(戒壇)とは “大聖人の一期弘通の本懐たる三秘惣在の本門戒壇の大御本尊であり、またその所住の処”なる惑義は、細井管長の己義を受けての言明でありました。
本門戒壇の大御本尊の“その所住の処”は「事の戒法」ではなく、後段で詳述することになりますが、あくまでも「義の戒法」でありました。ここでも阿部教学部長は、正本堂を念頭に置いてこれを、無理矢理「事の戒法」とします。
さらに、第三には正しく三秘抄の文のごとく “広宣流布して仏国土が顕現される処を事の戒法”、とするのでした。
しかして、阿部教学部長は三秘抄の文をむしろ “文のごとく”ならず曲解し、“流溢の広布への道程の全体が王仏冥合の時”やら“現在も王仏冥合の時と云える”として、“時が来ておりそれが正本堂である”等と、断じて憚らないのでありました。
こうして、阿部教学部長は “権実雑乱”さながらに、“受持・持戒”と“事壇建立”とを雑乱した上で、日達管長の「本門戒壇の大御本尊のおわします処、何処何方においても事の戒壇である」という誑惑の指南を「錦の御旗」とし、“奉安殿も事の戒壇”であり、“正本堂”また“直ちに事の戒壇”であり、“これが訓諭の「現時における事の戒壇」の意味”であると断言します。
”現時における”という曖昧にして意味不明な“訓諭”の形容を、阿部教学部長は“直ちに”の意味だと明言し、さらに支離滅裂の誑惑を続けるのでした。
( 平成十五年四月十二日、櫻川
記 )
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