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国立戒壇論の誤りについて
再刊後記
( 一念三千を国立戒壇根本論の
例証とすることは暴論 )
次に 「国立戒壇の名称が御書にないというなら一念三千の語は法華経のどこにあるのか。たとえ語がなくとも一念三千が法華経の中心法体としてその名称が使われるように、国立戒壇の名称も三大秘法抄、一期弘法抄の義を全面的に顕している」という論を聞いたことがある。
これもまことに素人考えであって、例証が例証になっておらないのである。
まず第一に 「一念三千」と「国立戒壇」では能顕の人に天地の相違がある。一念三千の語は震旦の小釈迦といわれた天台大師の所立であり、仏法正系の付嘱も明らかに明哲無上の像法の大導師が示されたところである。
国立戒壇は正系門家の創唱でないのは勿論、本尊の相伝もなく、邪義邪説に執する他流の末流、田中智学の所唱である。創唱者の仏法上の位置に天地の懸隔がある。このちがいを無視して一念三千を国立戒壇根本論の例証とすることは、暴論そのものといえるであろう。
第二に、一念三千とは仏法の法体、法華経の仏境仏智にかんする名称である。法華経迹門の諸法実相における一念三千、本門の久遠の因と果と国土の三妙の上に論ずる一念三千は、さらに本門文底の久遠本因名字即における因果倶時直達正観の一念三干に帰入し統摂されるが、かかる一念三千は純粋に法体上の名称である。すなわち、一切の現象を抱括し、回転せしめる原理上の実体を指すものである。
したがってこの一念三千を末法の民衆救済の上に大聖人が開かれた本尊、題目、戒壇の三大事の語も同様に仏法上の実体であり、原理を指示されている。かかる実体、原理が宗教上、仏法上永遠に不変であることはいうまでもない。
三大秘法抄の「今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に介爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」の文、ならぴに「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は、この三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり」の御文に明らかであろう。但し、現実に戒壇の本堂建立ということになると、これは広布の環境としての実際の社会が含まれる。つまり時代の変遷によって政治の形態等もろもろの事象が変化する部分である。(その一例が三大秘法抄の勅宣御教書の語であって現代政治機構中可能な意味において、或いは全く存在しない)
故に、国立とか王立とか民立とかいう語は根本法理に村する現実的応用であり、展開に関する語である。
仏智による仏法の法体は常住不変であるか、世間の姿は現実に変化して行くから、その変化に応じて種々の応用がある。その応用面の過去における一名称が国立戒壇という語といえる。従って応用の意味が消滅した現在、その名称にこだわる必要はない。現在の事の戒壇は民衆立の意味でよいのである。
すなわち、一念三千と国立戒壇は、その仏法上の意義において、質を異にする語であり、一をもって他の例証とすることは出来ないのである。一念三千の語が法華経にないからといって、国立戒壇の語が御書になくしかも絶対的正当性たる裏付けにならないことだけは、よく頭を冷やして考える必要がある。敢て苦言を呈しておく。
阿部教学部長は、“まず第一に「一念三千」と「国立戒壇」では能顕の人に天地の相違”があって、“創唱者の仏法上の位置に天地の懸隔”があると、“名称”における「能顕の人」や「創唱者」にどこまでも着目し、その“言葉”や“名辞”を“誰が最初に述べたのか”という一点に激しく<執着>し、とことんこだわるのでした。
一体 仏法の永い歴史に於いて、そのような“名称”における「能顕の人」や「創唱者」にこだわる思想やら発想やらが、どこにあったことでしょう。外道の“能顕・創唱”であっても梵天・帝釈だろうが、内道における本覚・真如だろうが、必要とあらば柔軟に用いることはむしろ仏法の常道・特質とも云えることでしょう。
日蓮大聖人においても、法義の用否においてその“言葉”や“名辞”を<誰が最初に述べた>か「問題視」したなどとは、わたしは寡聞にして知りません。このような“独善”の“新義”こそ“暴論そのもの”であって、仏教史上・阿部教学部長を以て「嚆矢」たるの栄誉が、与えられることでありましょう。
阿部教学部長はさらに、仏教史上稀に見る“珍説”を得々として続けます。“第二に(略)一念三千は純粋に法体上の名称である。すなわち、一切の現象を抱括し、回転せしめる原理上の実体を指す”と宣うのでした。いかに“一念三千”が法体上の名称と雖も、仏法に於いては「縁起」を基礎とする以上、決して「原理上の実体」になどなり得ません。
本書において邪智・諂曲を恣にしてきた阿部教学部長でしたが、この段で・はからずもその浅学・無知振りを、却って衆目に晒す羽目に陥ったことでした。こうして、仏法に於いてはそもそもあり得ない“実体”論に基づいて、“実体・原理”なのだから“宗教上・仏法上永遠に不変”だと敷衍して、阿部教学部長は「国立戒壇」の名称否定にこれ努めるのでした。
しかしながら、阿部教学部長が云うように 「戒壇」の名称が“実体・原理”なるが故に“宗教上・仏法上永遠に不変”だとしたところで、いささかも「国立戒壇」の名称を否定する論拠たり得ていないことでしょう。国立戒壇論者とて、何も・阿部教学部長が邪推するように、「国立戒壇」の名称を以て“不変の実体”だの“法体の名称そのもの”だのと、誰も述べてはいないことでした。
富士の伝統法義・歴代先師宣揚の「国立戒壇」とは、要は御遺命の「本門戒壇」に於いて・わたくしになる“私立戒壇”(民衆立戒壇)を排すべくの言辞にして、ひとえに“国家的手続き(勅宣・御教書)を経て建立すべき戒壇”たる<意義>を指し示すのでありました。
「国立戒壇」の文語は、阿部教学部長が不変とする「戒壇」の名辞に“手続き上の限定”を形容しているに過ぎないことは、「勅立戒壇」や「勅命戒壇」や「国主立戒壇」や「民衆立戒壇」等の“名称”と、異ならないことでしょう。
“国立とか王立とか民立とかいう語は 根本法理に村する現実的応用であり、展開に関する語”であることは、誰も異論のないことでしょう。“実体論”まで持ち出して、徒労・浅薄の議論を費やすこと、ご苦労なことでありました。
いはんや、仏法の<要諦>に於いては 「言語道断の経王・心行所滅の妙法」(持妙法華問答抄)ということ、ではなかったでしょうか。その “心行所滅の妙法”(当家においては“久遠名字の妙法”)を持たれる仏が、“無縁の慈悲”止まずして化他に出るとき、“仮りの施設”として“世俗”としての「名称」を用いられるのでありましょう。「(仏は)但・仮の名字(仮名)を以って、衆生を引導したもう」(方便品)と。
独創の“新義”・“珍説”を披露して、”質を異にする語であり、一をもって他の例証とすることは出来ない”と宣う阿部教学部長に、“よく頭を冷やして考える必要がある。敢て苦言を呈しておく”の言葉を、鄭重にお贈りいたしましょう。
( 平成十五年五月十八日、櫻川 記 )
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