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国立戒壇論の誤りについて
再刊後記
( 国立戒壇論者の誤りは
教条主義的な解釈にある )
以上、要するに国立戒壇論者に共通する各面の誤解は、仏法と現実の国家社会との関係において、大聖人の御書についての教条主義的な解釈の誤りにある。
すなわち御書のなかの純粋法義と対国家社会に関する文とのけじめ、永久不変の法体と法義を展開する外的な可変的要素とを混乱し混同しておる。
これはまた、原理と応用、全体と部分、永遠と一時代との混説に通じ、中世国家と現代国家の政治形態および形式、法規等の差異を無視した時代錯誤が指摘されよう。
これらの帰結として、本末を顛倒し、根本の大聖人の仏法に末派の派生的名称を押しつけようとする迷乱が有するのである。
顧るに、吾々宗門人も過去において以上のような思索点に対し、比較的無神経であったことが思い起される。宗門の永い歴史を通じての伝統的観念が近代に至って不消化のまま持ちこされ、外部の社会の法律政治等が変化したにもかかわらず、漠然とした抽象的戒壇論や、広宣流布の相を想定していたといえよう。
これが現実の問題として吾々の意識をゆさぶるに至ったのは、一に創価学会の大折伏による広布の段階的進展であり、二に法主日達上人のこの広布の状況に対する数々の御指南によることである。
我々宗門の僧俗はこの千載一遇の広布の時機をただいたずらに傍観視、冷観視してはならない。広宣流布に全生命を打ちこむ方々の労苦を深く思い、また現実の広布展開にかんする意義を深く自覚し、猊下の御指南を根本に体し、新しい本門の時代に対処して行くべきであろう。
大方のいよいよ御精進をいのって再刊の後記とするものである。
已上
“仏法と現実の国家社会との関係”とは、池田会長が自ら招いた言論弾圧問題で国会証人喚問が要求される状況(昭和四十五年)において、創価学会が政府からの照会に対して “御遺命の「本門戒壇」とは信者の供養を以て私的に建立するもので、「正本堂」が「本門戒壇」である”と、誑惑の回答をしたことでありました。
宗門の暗黙の了解・承認の上での、この政府への“欺瞞回答”こそが、ここで阿部教学部長の云う
“現実の国家社会との関係”なるものの真相であり・深層だったことでしょう。
そして、“御書のなかの純粋法義と 対国家社会に関する文”を混同し、“法体と法義を展開する
外的な可変的要素とを混乱し混同”したのは、他ならぬ阿部教学部長・ご自身であることは、当サイトの読者諸氏にはあらためて繰り返す必要はないことでしょう。
今日に於いてはさすがに阿部管長とても、「信教の自由」が“勅宣や御教書”に相当だの、「王臣一同」とは「民衆一同」だのとした、“法義と社会に関する文”の混同や、“法体と法義における混乱・混同“の説は、“原理と応用、全体と部分、永遠と一時代との混説に通じ”、“時代錯誤”の“本末顛倒”にして“変なことを書かされちゃった”と、なにやら認めるが如くではありました。
最後に阿部教学部長は、“新しい本門の時代に対処して行くべき”と、締めくくります。創価学会による“「正本堂」が「本門戒壇」”との、誑惑の政府回答を扶けることが“新しい本門の時代”への「対処」なのだと、どこまでも池田会長の大誑惑に与同するの決意を、こうして披露するのでありました。
今日の宗門の混迷の根源こそ、何度も繰り返したことですが、何よりもこの創価学会による「本門戒壇」の誑惑の政府回答と、加えて宗門の<与同>にあったことでした。
阿部管長が一宗の貫首として、いま為すべきことは一身上の裁判などではなく、宗門としてすでに破門した創価学会が提出した“「正本堂」が「本門戒壇」”との、誑惑の政府回答をすみやかに撤回すること、でありましょう。
「ボタンの掛け違い」の最初・端緒こそ、この政府への“偽りの回答”なのでありました。“池田創価学会の謗法を検証するとともに、総本山における仏法を歪曲した謗法の遺物を徹底して駆逐し、もって破邪顕正の洋々たる広布の未来を開くことこそ、最も緊要のこと” とはこの一点にある、とわたしは思います。この欺瞞回答を正さず・直さず・糺さずして、いくら表面のみを繕ってみても 宗門に “新しい本門の時代”は、決して到来しないことでしょう。
( 平成十五年五月二十一日、櫻川
記 )
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