|
日蓮本仏論者 福重照平の 信・行・学
末法の救世者は誰ぞ
(略)祖書の在々所々に 「釈尊を本尊とすべし」とあっても、それは三千年前出現の釈尊を本尊とする意味でなく、末法出現の釈尊
即ち日蓮大聖人を本尊とすべき意味なることを 確かに申し上げておく。
それから 御曼茶羅の御本尊に就て申し上げる。五字七字の大曼茶羅は、御祖師様以外のものではない。全く大聖人の御魂を
如実に御写しなされたものである。
経王抄に仰せられた「日蓮が魂をすみにそめながしてかきて侯ぞ信ぜさせ給え。乃至。日蓮がたましいは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(略)
吾人は 草木に異なる所以は 心が働くからだ。肉団に拘束されざる 心が働くからだ。心がより大切である。法報応の三身相即して離れずといいながら
報身如来 --- 心が主であるから、御影よりは御曼茶羅がより大切になる。殊に御曼茶羅も数々ある中に、富士大石寺の宝蔵に安置せられたる戒壇の大御本尊は
個人賜りのそれでなく将来国立戒壇に安置すべく遺命されたるもの、真に閻浮第一 国家的の御本尊である。そこでわたしが皆様に対して次の結論を送る。
日蓮大聖人を末法の救世者と信じ、その御魂たる大曼茶羅、殊に開目抄に高顕せられたる
「我日本の柱とならん、我日本の眼目とならん、我日本の大船とならん」
以上三個の大誓顧を以って その双肩に担われたる日本国家 --- その大黒柱たる閻浮第一
国家的戒壇の大御本尊に帰命して 南無妙法蓮華経と唱え奉れ。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
戻る 次
|
|
|