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   日蓮本仏論者 福重照平の 信・行・学

   
末法の成仏

 (
)我等 南無妙法蓮華経と唱え奉るものの位を、聖祖は 理即に過ぎ名字に足らず と仰せになっている。随分 心細い位である。しかしこの心細い位からでも本人の心掛次第では、一足飛びに究竟の仏果を得られるのが 本因妙仏法の有難い所である。
 経文に説かれてある「
我本行菩薩道」 所謂 枝末的因妙の分域に這入っても 所化の大衆は相変らず理即名字である。

 しかしそれは 折伏弘経の窮極する所、一天四海 皆帰妙法の実が挙がりし後のことだから、悪人愚人の寄合いとしても謗法の者が居なくなると 折伏行に意味がなくなる。(

 在世の御祖師様は 英雄型である。末法の摂受を行じ給う御本仏は 聖賢型である。入込(ひとごみ)の中にあらずして 山林坐禅の床を愛し玉う趣も、馬を愛し剣を好み 鎌倉の大路小路を闊歩せられた御祖師様と行方が違う。ただ「
難問答に巧にして、其の心畏るる無く」の一ヶ條は在世と広布の後の世に、通用するらしい。

 (
) 前節に「本行菩薩道」の上行を叙して 「ツマリ言説もて化導なさるより 行儀をもって大衆を景仰せしめる方針」というたのは、聖祖の励声叱咤を言説と認め、従って一問一答の論議問答は 寂黙の行儀の方に摂したからである。観心本尊抄と開目抄に 左の御文が記し残されてある。「此の四菩薩 折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誠責し 摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘時す
 我が皇室に
本化の聖天子御降誕の時が 広宣流布である。広布の後 菩薩僧として出世し給う時が 本因初住位(前に云える如く分真即の初位)の御化導である。

 「
無智悪人の国土に充満の時 摂受を前とす 安楽行品のごとし。邪智謗法の者多き時は折伏を前とす 常不軽品のごとし、乃至。末法に摂受折伏あるべし、所謂 悪国破法の両国あるべき故也
 謗法の国は 破折せねばならぬ。愚悪の民衆は 摂受せねばならぬ。しかし世相と化導の順序は 折伏を先とし根本とし、摂受を後とし枝末たらしめる。聖祖立宗の初めより 広宣流布し終るまでは 折伏立行を捨てることは出来ぬ。念仏真言禅等 謗法の諸宗ノサバル上に マルキストが「宗教は阿片なり」と呼ぶ。此れも釈尊在世超えたる 大外道の存在である。

 折伏!折伏!折伏! 折伏的 南無妙法蓮華経を持つ以外に 我我の成仏は生れぬ。(

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