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   日蓮本仏論者 福重照平の 信・行・学

   
宗教の決済期

 (
) 吾人は各宗の学徒が 各々その祖師に捕われず、宗派根性に捕わることなしに 仏教を研鑽せんことを希望する。(
 そこに各宗を公平無私に研究批判して 遂に釈尊の本懐を探り、更に釈尊一代の肝心たる南無妙法蓮華経を色読高顕したる日蓮聖祖の真意に接触する機会を得て、閻浮統一帰正の道を開き得るを期待するからである。

 しかし暫く局外傍観者の地位に立ちて之を批判するも、釈尊 --- すくなくも己がしし景仰する祖師の訓誡を遵奉し その意義を簡明せんとする努力を、
本山の利益に反するなる俗悪の主張によりて 破壊せんと企つるを憎むものである。
 本山を離れて宗教なしとする俗見は、偶(たまた)まマルキストがいう 宗団を離れて別に宗教はないとする 唯物論を裏書するに過ぎぬ。無条件に本山以外に宗教なしとせば、若しその本山が人を毒し世を害するものと認定さるれば 従ってその宗教が世人を毒害する阿片なりとする推論に抗議は出来ぬ。(


 権実本迹の迷乱は 暫く之を問わず、各宗の学徒に猶 宗教に対する良心は認め得ても、その本山の当局は多く局に迷うて その良心を殺しつつあるかに見える。(
)唯物論の出現に対して宗教を擁護すべく 其の第一線に立つべき真摯なる学徒を放逐し、糧を敵に与え、しかして法城を守り得たりとする宗団人の多きが 当今の世相である。
 しかし在家信徒の思想も世の進歩に伴うて 漸く進み来った。
僧侶の不品行と無学無智も 御本尊様の知る所でないと不満を感じながらも、本山可愛さから布施し来った長い習慣も、夢心地より醒めかけて来た。一方に宗教否定の声も聞かれるが 他方には、勿体らしき僧階や美しき法衣の外に 真の宗教を求める叫びが聞かれる。全仏教の上に 大節季的総勘定の日が近づいたと想見せらるるも無理ではあるまい。

 
正義が宗門からその姿を消すとき 宗門は崩壊して仕舞う。たとえ形骸だけの宗門はあっても生命なき宗門が何になる? 寧ろ膿血縦横の形骸を突崩して 生命を回復せねばならぬ。
 国家とてもその通である。殊に養正恢弘(ようせいかいこう)の国是を 神代より伝えたる我が国、
下種の南無妙法蓮華経の本国土妙と定められたる我が国に於て、正義が滅し正法が隠没さるる如き場合は、形骸の国家を破損しても日本伝統の大精神、本仏護持の大正法を活かしめねばならぬ。聖祖在世の北條時代は皇威地に墜ち 正法塵に塗れたる暗黒時代であった。依って聖祖の発せられたる 沈痛なる警告に聞くがよい。

  「
我が国の亡びん事はあさましけれども、是だにも虚事になるならば日本国の人々 弥々法華経を謗じて万人 無間地獄に堕つべし。彼だにも強がるならば 国は亡ぶとも謗法は少なく成りなん。譬えば灸治をして病を癒すが如く、鍼治(はりたて)にて人を直すが如し 当時は歎くとも 後には悦び也
  三大誓願を立てて日本国の大黒柱と自任しおわす聖祖が 日本の滅亡を悦びおわすことは無い。日本が滅亡の深淵に片足どころか 両足共に踏滑らかしそうなのを坐視するに忍びずして この警告を発せられたのである。内服薬で利かぬ病は腹をさき 髄を割りても之を根治せねばならぬ。(

 傷痕の皮膚に印するを憚り、内服と塗薬でその日を送るから 遂にその魂魄を奪って真に人をして死に到らしめる。
これは宗門とても同じだ。伝統や歴史に疵が付く、仕来りの信仰 --- 迷信 を破壊するを恐れて 祖師の精神を等閑にするものは 真に宗門を捨てて完全に之を殺すものである。荒療治を恐れては 末法に宗門の維持も弘通も 出来るものでない。

 今の時代に仏法を求むるものは、その態度に真剣さがある。(
)我等人間 --- 少数のブルはさておき 我等同様少額の収入に制限されて如何にして生活すべきやと --- 僧侶は一般にブルかプチブルに編入されるべきであろう --- 日夜に考えさせられつつあるものは ツマリ日夜に生死苦を経験しつつあるものである。この苦は 因果話や押付理屈では解決されない。
 聖祖の大法門も鵜呑のままでは 今日の人間には通じない。龍口 小松原等 聖租の御難は我等凡夫の問題以上としても 日夜の生活苦を以って聖文を色読理解し奉りたる結果に発せられたる言語文章でなければ 対手の中心には届かぬ。

 所詮 吾人は過去の形式仏教から完全に罷脱(ひだつ)して、釈尊に帰り聖祖に帰りて 真実精神的な仏教に活き、そうして他に向っても之を説かねばならぬ。時が来て居らぬではない。時は既に来て居る。ただ吾人は庸劣(ようれつ)にして時を掴み得ないのだ。時を利用し得ないのだ。
 しかしずっと仏教界を見渡して見れば随分 門に閂(かんぬき)し 戸に鑰(かきがね)して自らも鼾(いびき)をかき、人にも夜未だ暁けずと眠を奨めて居るものもある。情ないことだ。(
)吾人は太鼓を敲いて 他の惰眠者を覚醒すべき義務を感ずるものである。

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