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日蓮本仏論者 福重照平の 信・行・学
富士の戒壇
火山の円錐美を代表する富士が、その一脚を直立せる杉の一叢(むら)に収め、一脚を遠く海中に投出しつつ、雲鬢(うんびん)櫛(くし)けずるに懶(ものう)くして
玉顔(ぎょくがん)を疎簾(それん)の遮(さえぎ)るに任せつつある朝(あした)、上野の森を離るる鐘一杵(しょ)、吾人は今
戒壇の霊地に立ちつつあるのである。(略)
戒壇の意義、それには凡そ二通りある。日寛師の所謂 事、義の両壇がそれである。末法の法華経の行者日蓮おわします所を以って 義の戒壇とし、勅命を賜りて観心の本尊を奉安すべき未来の大道場を 事の戒壇とする。
日蓮聖祖に在世と滅後を分ちて論ぜば、三通りとすることも出来る。龍口、佐渡、身延、池上、苛(いやし)くも本仏日蓮の御足を頂きし土地、本仏日蓮の安座を戴きし場所は 聖祖在世の義の戒壇である。自受用身の聖容を写して未来万年信仰の対境とすべく 一切衆生に授与されたる本門戒壇の大御本尊の在所が 即ち滅後の義の戒壇である。今自分は正しく 滅後の義の戒壇の霊地に立ちつつあるのである。(略)
三大秘法は元一大秘法なれども 之を三に開出し事顕し給うには順序がある。清澄開宗の暁に本門の題目が先ず顕われた。龍口に於て聖祖が久遠元初の自受用と発迹顕本された時、末法の正本尊は顕れた。発迹顕本以前の聖祖は 単なる生身にして自受用身ではおわさない。(略)
さて戒壇は、戒壇の大御本尊書写の日に 其の宏図(こうと)は決定され本願化され、三秘抄と一期弘法抄を以って之を発表公示され、一四天下 皆帰妙法の日に事顕され 建設さるべきである(略)
戒壇の御本尊と血脈相承と法主上人と 一体不可離のものたる説をなした人がある。キリスト教の三位一体説を 焼き直したような説をなした人がある。三身即一身、三秘総在の一大秘法等の名目は古来から伝承したが、三位一体説は全く一夜造りの手細工だ。
血脈相承が如何に高貴な伝灯証で 我等凡下の窺知するを許さざるものとするも、法主上人が高徳賢明にして一世の景仰する所なりとするも、之を独一本門戒壇の大御本尊に比べては
物の数ではない。「南無妙法蓮華經に余事をまじへば、ゆゆしきひが事なり」
尊無過上の大曼荼羅に物を並べ奉ること 且つは恐れあり且つは憚りあり、若し極言せば 謗法罪を構成する所説である。かかる所説を盲信する者は 法主の所在を以て戒壇となすならんが、吾人窃かに憂なき能わずである。
大石寺が義の戒壇たるは 閻浮第一の御本尊在すからである。血脈相承と法主の所在によるからではない。戒壇の大御本尊貴き故に 血脈相承貴し、血脈相承貴きが故に 法主貴しと縦に次第すべきもので 之を横に並べることも伊字の三点的関係に置くことも 断じて許さるべきでない。(略)
事成戒壇は 何所に設けられるか? 天母山を要に 麓の万坊ヶ原を扇面的に区画さるべく伝説され想像されるが、さて弥々の話は其時に至て専門家の鳩首凝議に待つ外はあるまい。ただ富士の南麓たるべきことは
動かすべくもない。皇城の丑寅云々の説は 世界悉壇のそれである。(略)
事成戒壇は 何時建立されるか? 一寸先の見えぬ我々には見当が付かぬ。しかし滅後の義の戒壇
屹として立たせ給う以上、失望するにも及ばぬ 焦慮るにも及ばぬ。唯 確実なる歩度(あゆみ)を以って
広布の暁まで前身を続ければよい。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
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