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日蓮本仏論者 福重照平の 信・行・学
比叡より清澄へ
(略) しかし矢張 湖水は湖水である。海洋の陽気なるに比して 湖水は陰気である。海洋の活躍するに比して 湖水は静寂である。(略)先ず気分に於て 大変な相違がある。海洋には而二を表とする本門の空気が沸立つが、湖水には不二を表とする迹門の趣味が漂う。
淡水にそそり立つ比叡に 迹門の戒壇が建てられたるに対して、東海に君臨する富士に 本門の戒壇が定めらるべきは 矢張りそれ相当の因縁があることと思う。(略)
しかし 富士が噴起されたと同時に 琵琶湖が陥没したという古伝説と、聖祖の御母が 比叡の頂に腰打掛けて富士山より日論の出で給うを拝し 之を懐に抱き奉ると夢みて懐胎せられたとの 産湯相承の記事は、吾人をして何かしら江州が本門甚秘の大法に対して
ある特殊の因縁を持つかの如く感ぜしめる。
聖祖は御義口伝に 宝塔品を釈して「其の宝浄世界の仏とは 事相の義をば且らく之を置く、証道観心の時は母の胎内是なり。故に父母は
宝塔造作の番匠なり。宝塔とは我等が五輪五大なり」と仰せられた。(略)
寂日房御書に 「釈迦多宝の二仏、日蓮が父母と変じ給う歎」とあるに対照して、聖祖の御父母を古仏の応現と見奉る方が適切である。報身智慧を表する釈迦は御父妙日、法身禅定を表する多宝は御母妙蓮と具体化し給うと知れば
祖書の意を得るに近かろう。
此の末法の多宝仏が迹門の戒壇たる比叡の頂に坐して 東天の富士に向って拝されたと云うが、迹門より進んで本門に移った段取となる。像法過時の大法より 末法適時の妙法蓮華経に進展した順序となる。御胸に懐き給いし日輪とは 云うまでもなく文底寿量品の教主 勝釈迦仏たる日蓮聖祖である(略)
在世と正像の機が修する観念観法は 多く自性心内の賊を捕えて対境とするが、末法我々の行ぜねばならない折伏は 自身を敵手(あいて)にするのでなくて、他人敵手(あいて)だ。自分の心でも自由にならぬが、他人が思うようにならないのは 更に甚(はなはだ)しい。(略)
しかしまだ自省するものは上等の部で、罪を聴手に稼して 彼奴(あいつ)等に話しても判らぬとばかり 法門に苦労する考えはなく、紋切形の説法本をお役目に少々読上げて、年回じゃ法事じゃと 御経読(よみ)に成り了ってはお仕舞だ。(略)
夢もあながち 千三万八の便りないとも限らない 正夢も霊夢もある。孔子は「我復夢に周公を見ず」と歎ぜられた。聖母妙蓮の御夢などは、之を本迹二門弘通の推移に照し 聖祖一代の行化に徴(ちょう)する時は
粛然(しゅくぜん)として敬意を表せねばならぬ。(略)
聖祖は現実に 飽(あく)まで道理と意志の力を以って 四海を圧倒された。その日月電霆(でんてい)を叱陀駆使するの神通は
聖祖の余伎であり、山海を掀翻(きんぽん)するの霊夢は 聖化の余韻である。本を捨てて末を論ずるは
愚痴の妄談たるを免れないが、本立(たっ)て しかして末を味わば津々(しんしん)として
つきざる妙趣がある。聖母の御夢は 聖祖が西に養う所を以って 之を東に施すと共に、権迹の諸法悉く寿量文底の一大秘法に宗朝(そうちょう)帰趣するを
語るものではないか。
龍口の成道は 近く因を清澄の開宗に発し、遠く縁を比叡の学窓に繋(つな)ぐものではないか。御身(おんみ)等の仏果菩提は
折伏弘経の第一歩を踏出す時に 授記さるべきである。折伏弘教は又実に 講学養心の間に足繕(つくろう)べきである。
聖祖曰く 「我門家は 夜は眠を断ち昼は暇を止めて 之を案ぜよ、一生空く過して 万歳悔る勿(なか)れ」と、諦聴諦聴(たいちょう たいちょう)。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
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