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日蓮本仏論者 福重照平の 信・行・学
日蓮が弟子檀那
(略)聖祖は 一切衆生の一切の苦を受くるを以って 自己一身の苦とし、之を救護するを以って自己一身の責任とせられた。依って法界絶対の権威を自覚し、法界絶対の権力をあらゆる方面に発揮された。
この「日蓮が弟子檀那」なる御言葉は 其の含蓄する所自ら一切時処に遍して 聖祖を中心とすべく順縁の僧俗に命令せられたものと知らねばならぬ。
曩日(さきのひ)某氏が ある宣言書めいたるものを発刊して「某上人に帰れ」と特筆大書した。帰所(きしょ)と指(さ)れた某上人も
頗る御迷惑なされたことと察するが、これは大笑である。
吾等もし帰所を示さば いつでも「日蓮大聖人に帰れ」と云うべきである。(略)
得度の縁により、法施財施の授受により 分分に師弟と称し師壇と呼ぶを妨げずと雖(いえども)、大体在世滅後を隔てても 一切の僧は聖祖の弟子 一切の俗は聖祖の檀那である。途中に停電してはならぬ。聖祖の御弟子のその又弟子の弟子檀那などと、又々付の弟子檀那にならなくともよい。
一切の僧俗 御金言の通り聖祖の弟子檀那と 承知してよろしい。イヤそう腹に 極めてかからねばならぬ。この「日蓮が弟子檀那」なる御言葉は 祖書の各所に散在して拝見し得る。その語は旧いがその意義は
時時に新しい。(略)
同一本山を頂く末寺末師の間に於いて 互に爪を磨き歯を鳴らし、学問よりは世智、折伏の法戦よりは腕力の乱闘に趣向し、無価(むげ)の法財を取らずして
卑小の世宝を貪るもの多きを加えんとするは 頗る寒心すべきことである。
吾人は宗学上 各見解を異にするものあるに於て その相争うを拒むものではない。堂堂論陣を張って
切磋砥砺(せっさしれい)するは 祖書を鑽仰(さんごう)し、その幽玄微密の妙旨を闡明(せんめい)し
暢達(ちょうだつ)する所以(ゆえん)であると信ずる。もし宗学の上に於て
苟合(こうごう)を許さば それは明かに宗門の堕落を意味するものである。
しかし人情に従いて 党同伐異(ばつい)するはよし 吾人之を黙過せんとするも 「異体同心」の聖訓を蔑如するの罪は その負担に任ぜざるべからざるを 覚悟せねばならぬ。吾人久しく宗学上の堂堂たる論争を聞くことなくして、却って屡(しばしば)
離間排撃(りかんはいげき)の私語を耳にするは、抑も時代の弊か根機の罪か。
袈裟法衣を着用して 教師で御座ると取澄す以上、学問は御免蒙るでは済されぬ。信仰の上にある程度の理解を有せねば 第一聖祖に対しても、さては信徒より受くる布施に対しても
申訳があるまい。
本宗に於て寛師時代 一峰頂を辿りつつあったかの観ある宗学も 其後多少の高低こそあれ一般に下り坂に向いたる趣あるは
頗る遺憾とする所である。其極(きわめ) 遂に本宗の所立を学問の及ばざる所に置き、但信但仰(たんしんたんこう)を以って宗致となすかの如く叫ぶものあるに至りては、其弊(へい)
遂に言うに忍びざるものがある。
かかる俗説をなすものに向って吾人は、信心は一切諸行の基調なりと雖も 学解を捨てて但信但仰のみ奨められたる聖判ありや と問いたくなる。現法主日亨上人 夙(つと)にこの大所に着眼せられ、その晋山の始に当りて特に興学を墾諭せられたは 吾人の尤も欽仰(きんこう)する所である。(略)
吾人は叫ぶ。僧侶よ、その磅?(ほうはく)たる闘争の意気を 学問に専注せよ。俗士よ、その闘争に依りて集積せる資財を 興学の目的に向って供養せよ。学問の争いは 利慾の争いを緩和するものである、停止せしめるものである。(略)
古来、邦家、多く外患に亡びずして 内訌(こう)に滅ぶ。宗教界の興敗も亦
この理路を蹈外(ふみはず)すものでない。
殊に折伏立行の聖祖門下に於て 法敵と屡(しばしば)戦いを交えるものは 其の教団の興隆を語るものにして、漫(みだり)に「時を待つべきのみ」の聖語に隠れて安逸し、徒らに秘密主義の幽窟に屏息(へいそく)して自高自大を以って得たりとするものは 衰亡の道程を辿(たど)りつつあるものである。
かの教学に向って 一匙(さじ)を嘗(な)むるの心なく、唯 私利私福を営むに急にして 党争を事とする如きは 衰亡の道程を辿(たど)りつつある教団に於て常常に発見し得べき症状である。吾人は天の雨に先だちて
?戸(ようこ)を鎖(とざ)さねばならぬ。吾人は教学復興を旗旆(きし)として、僧侶の無事閑散より自然に脱落(だらく)すべき陥穽から
遠(とおざ)からねばならぬ。
教学復興せば 「日蓮が弟子檀那」なる寵光は 自ら吾人の心内に生きて輝かん。(略)
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
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