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“イエスマン″になった私
ともかく、あのとき私は、私の心に反し、先生の前にお詫びいたしました。以来、私の苦悩はそうした先生のお姿を見るにつけて深まる一方でした。
しかし、その後私のとった態度といえば、ますます先生の“イエスマン”になっていたのです。
先生が陰でどんなに当時の御法主上人や総監、教学部長等の非を語られても、私は先生にご満足していただけるような回答をしたり、先生とお会いする前には先生の心にかなうような話題を用意し、自己保身に汲々としたのです。
ですから、私は重大な共犯者でした。この共犯的反省をしつつ、それが生命の浄化的反省につながることを願い、日蓮大聖人の仏法、すなわち日蓮正宗の法義をどのように曲げていったかをたどってみることにします。
原島元教学部長の、真摯な懺悔の言葉が、語られています。御遺命歪曲に加担した他の当事者たちの、同様の懺悔をここ「御遺命守護資料館」サイトに載せる日は、いつになるでしょうか。
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