御遺命守護資料館


home

 御遺命
 御遺命守護
 資料室
  顕正会
  宗門
  創価学会
  その他
 談話室
 Q&A
 メール
 本館
 更新


    猊下を怒鳴りつけた先生

 昭和四八年一〇月一四日、正本堂建立一年後、正本堂東側広場で、池田先生は日達上人を怒鳴りつけられました。

 「
これだけご奉公したんです。御褒美を下さい! 私が欲しいのは猊下の慈悲です。猊下はすぐお忘れになってしまう。学会を奴隷にしないで下さい。このままいったら宗門はめちゃくちゃです

 私はその場におりませんでしたので正確な内容ではありません。また、活字になるとそのすごみはなくなります。しかし、信徒の面前で、血脈付法の、時の御法主上人を小僧っ子のように扱われたのです。当時私はこの話を聞いて、池田先生はすごいお方だと感心しました。

 これを裏づけるものとして、同じ日に総本山雪山坊二階会議室にて御宗門と学会との連絡会議が行われた、その記録がありますので掲載させていただきます。

 (略)

 長くなりますので引用はここまでにしておきますが、これが機縁となって、例の早瀬総監と北條理事長(現会長)との間で、本山から学会へ一三億円の寄附、学林は本山で建てる、などの取り決めとなったものです。

 そのほか、日達上人を怒りつけた場面を私は一回見ていますし、また、昭和四〇年の秋には、当時の柿沼総監をイスの位置を理由に日達上人の前で怒鳴りつけ、予定されていた正本堂建設委員会がそのために流会になった事実を知っています。

 私はいままで、こうしたことに対して、それが先生の偉大さであるものと考え、それに敬服していた愚かさをいまになって深く反省している次第です。信徒の面前で、時の御法主上人を怒鳴りつけるなどということは、いかに功労があるとはいえ、また、たとえどんな正当な理由があるにしても、信徒としてあるまじきことです。

 勢いにのったときにはどなりつけ、具合が悪くなると平身低頭の、いわゆる“大誠実”をお示しになるこの変身ぶりに、社会は不安を抱くでしょう。
 あのとき、見ていた多くの信徒の日には、猊下まで叱りとはすことができる池田先生は、猊下以上の力があるのだ、それほど尊い方であるのだ、と映ったに違いありません。私もまた、その話を開いて正直そう思った一人です。




 正本堂建立一年後の、池田会長の慢心の姿が、原島氏によって語られています。

 浅井会長はこう指摘しています。「
正本堂とは、このていの建物である。なにが「大聖人御遺命の戒壇」、なにが「宗門七百年の悲願」であろうか。正本堂がもし御遺命の戒壇ならば、その完成直後にどうして“願主”と“法主”がこのような醜い争いをするであろうか。この下劣な抗争こそ、まさに“悪事の仲間割れ”ではないか。正本堂の正体は、この現証によってはしなくも露呈している」と。

 そして 「
まさしく正本堂は、上は御本仏大聖人に背き奉り、さらに二祖日興上人より六十五世日淳上人に至るまでの歴代御法主に違背し、下は日蓮正宗全信徒をたぶらかし、また外には一国を欺いた“誑惑の殿堂”というべきものである」と。




       戻る   


「 御遺命守護資料館 」サイト運営責任者 櫻川 忠