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    日蓮正宗もインチキ宗教だ

 言論出版問題のときに、池田先生が昭和四五年の前半にみせた姿は、まさしくこれでした。
 十年後の現在(昭和五五年)においても、ご自身の失を隠し、執行部に責任転嫁をなされ、自分は圏外にいるごとく装われていますが、もうその手は通用いたしません。 

 「
学会だけが日本一の民衆仏法。他はみんな伽藍仏教、インチキ宗教だ。二一世紀の仏教として唯一の社会に生きた宗教だ
 これは、学会だけを生きた宗教として、日蓮正宗をもふくめて意識して伽藍仏教、インチキ宗教として発言されているのです。それはすぐあとに「
大聖人の出世の本懐は人間としてどれだけ振る舞ったかにある。振る舞いこそ、社会に開く突破口なのだ、形式じゃない。七百年前の伝統があるとはいえ大聖人の本義は、民衆の中、人間の中、人民の中にある。行動しない、振る舞わない!それは出世の本懐じゃない。それを銘記してもらいたい」とあることからも明らかです。

 日蓮大聖人の出世の本懐は、弘安二年十月十二日の戒壇の大御本尊であります。大聖人の御振る舞いの究極もそこに尽きます。振る舞いが出世の本懐といっても、それは御本仏日蓮大聖人の御振る舞いと拝すべきです。
 どうやら池田先生が「
民衆の中、人間の中、人民の中に」行動されていることが、大聖人の仏法の本義に叶っているとおっしゃりたいのでしょう。

 残念ながら池田先生の御振る舞いは、傍若無人で、日蓮大聖人の崇高な御振る舞いとは天地雲泥という言葉もあてはまらぬほどまったく違ったものです。
 池田先生ご自身もその一信徒であるはずの、ご自分が信仰している宗教であるはずの日蓮正宗をして伽藍仏教、インチキ宗教というのであれば、これはもはや創価教として、あるいは池田教として独立なさった方がスッキリすると思うのです。




 
原島元教学部長の、言う通りでありましょう。

 そして今日、原島元教学部長の言うとおり 「
日蓮正宗もインチキ宗教だ」と高言し 「富士の濁流」と罵り、「創価教として、あるいは池田教として独立」したこと、でありました



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