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妙信講の反発
これに対する妙信講の反発は、当然予想された。そこで、五月には、宗議会を開いて日蓮正宗の宗規を改正し、従来はなかった講中や檀信徒に対する処分条項を新たに制定した。妙信講が、もし、ことを荒立てたら、講中解散処分し、幹部は信徒除名処分にすると脅しをかけたのであった。
だが、妙信講は一向にひるまず、「流血の惨も辞さず」「かくなるうえは、生命をかけて戦う。霊山浄土へ行って、大聖人の前で訴える」とばかり、実力行使を宣言して宗務院に迫った。
こうして、創価学会、妙信講双方からの圧力が、宗務院にかかって板ばさみとなったうえ、宗内からも、妙信講に同情する声が上がり、宗務院をつき上げはじめた。
「果たして、正本堂を御遺命の戒壇堂と言い切ってよいのか。七百年来の国立戒壇諭を捨ててよいのか」と、批判の声が挙がってきた。
こうした声に対して、当時の御法主・日達上人が、「訓諭の前半は私の意思だが、後半部分は無理やり、勝手につけられた」という意味の発言をされたことから、宗内的に宗務院はいっそう立場が悪くなり、ついには、総監、教学部長の両名が辞表を出し、どこかに行方をくらましてしまった。
私の知るかぎりでは、総監も教学部長も決して臆病で逃げられたのではなかったと思う。妙信講を恐れてというより、教義上の筋を通すことと、創価学会が既成事実をつみかさねて宗門を巻き込んできた社会的現実路線を、どう調整するかということの難しさに、創価学会と妙信講のぶつかり合いが重なり、動きがとれなくなって手を焼いていたところへ、うしろから宗内世論に打たれたことに対する怒りが、二人の役僧の職務放棄の原因であったというのが真相ではなかったかと思う。
いまは、私はすっかり立場を異にしているが、当時、圧力をかけて苦しめた一人として、事実はありのまま正確に述べるのが私の義務である。
創価学会側は、訓諭の訂正文の発表を押さえ込み、さらに講中処分の宗規をも制定して、妙信講対策に万全の構えを取ったのでした。しかしなお妙信講は、護法の一念のゆえにいささかも怯まなかったことが、妙信講対策の当事者の口から正直に語られています。
そして、日達管長ご自身が「訓諭の前半は私の意思だが、後半部分は無理やり、勝手につけられた」とご本心の発言をされたことも、宗内世論に国立戒壇放棄への疑義・批判が生じたことも、宗務総監と教学部長が失踪して宗務院が機能停止したことも。
評価の違いはさておき、山崎元顧問弁護士はたしかに、圧力をかけて当時宗門を苦しめた当事者として、事実は事実としてありのまま正確に、ここでは述べています。
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