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妙信講問題に決定的な役割を果たした
盗聴器
翌日早朝、広野は、私の自宅に立ち寄った。緊張で、やや青ざめた彼は、「先輩の河合一さん(現副教学部長)にちょっと話したら、猊下にそんなことをしたら、罰が当たるから、やめたほうがいいと言われたんですが・・・大丈夫でしょうかね」とたずねた。
いまさら、そんなことを言っても仕方がないし、当時の私の考え方としては、“たよりない宗門を外護するためにやっていることであり、結果として、喜んでいただけるのだ”と、いささか独善的な創価学会的外護諭にこり固まっていた。
また、北条副会長らも、学会の浮沈にかかわるときの緊急手段として了解しており、そのための費用も出してもらっていた。
私が、「心配ないよ。責任は私が負う」と言ったので、広野は安心して出動した。広野と竹岡の二人は、妙縁寺のわきの路地にとめた車の中で、発信機から送られてくる日達上人と浅井父子の歴史的対話を開き、テープにとった。受信機も波長も、宮本氏宅盗聴事件のときと同じバターンのものだった。
機械が急造のため、雑音が多くて聞き取りにくかった。そのうえ自動車が通るたびに、ブザー音のような雑音がまじった。それでも、録音された話は十分に聞き取れたが、その内容は、会談が私たちが危惧したとおりの結果に終わったことをはっきりと物語っていた。
広野から受け取った録音テープを、私はその日の夕方学会本部に持ち込み、文化会館六階の会議室で、北条、秋谷、原島の各氏とともに聞いていた。
日達上人ははじめは、「殺すなら殺せ。今日は白装束できた。これが辞世の句だ」と、威勢よく浅井父子を圧倒した。
さすがの浅井昭衛氏も、こうなっては下手に出るしかなかった。しかし、そこは名うての強者、下手に出ながら巧妙な話術で、つぎつぎと肝心のポイントを取っていった。終わってみれは、すべてが浅井昭衛氏ののぞみどおりの結果になっていたのである。
実質は、それが日達上人の本音であったのだが、創価学会にとっては、はなはだ困る本音であった。「訓諭は、前の半分は私の気持のとおりだが、後半は私の本意ではない」、「いまさら取り消せないので、内容を打ち消す解釈文を出す。正本堂は、将来までいかなる意味でも御遺命の戒壇と断定したのは行き過ぎなので、そのむね解釈文ではっきりさせる」、「解釈文は、出す前に浅井に見せる」、「口でいくら国立戒壇を言ってもよい。口で言うのは何を言ってもよいが、文書にするのはまずい」
こうしたお言葉がボンポンととび出し、浅井父子は、小おどりして帰っていった。何とも言えない心境でテープを開いている私たちのところに、池田大作氏が顔を出した。「どうだった?」
率直に状況を述べた私たちに、「やっばり失敗か。悪かったな。私がやるといつも失敗するなあ。しかし、私としては仕方がなかったんだよ。結果がどうあろうと、手順として、猊下にお願いして、一度説得してもらうのが筋じゃないか」と、しきりに言いわけをされたあと、皆で対策の協議に入った。
翌日、本山内事部理事・早瀬義孔師が、日達上人のお使いで前日のもようの報告に来た。おおむね正確な報告であったが、肝心なところ、つまり、まずい点のニュアンスは、やはり省かれており、録音テープで聞かなくてはわからなかった。
学会側は、その場は丁重に礼を述べ、日達上人の労を最大にねぎらって機嫌をよくしておくことにとどめ、後日、改めて巻き返しに出ることに決めていた。
本山も妙信講側も、学会が知らないと思って作戦を立てている事実を、実はつぶさに知っていて、裏をかいて巻き返しができたということは、「妙信講」問題において、学会がその後、主導権をとるのに決定的な転機をもたらしたと言ってよい。
学会側は、北条副会長が総本山に行って日達上人にお目通りし、「口頭で言うのはよいと言われたので、妙信講が徹底的に学会攻撃をすると言っている」、「解釈文を出されるのは結構だが、その内容によっては大変なことになる」などと陳情し、圧力をかけた。
そして一カ月ばかりのやり取りの後、結局、解釈文を出させないことにしてしまった。そのかわり、創価学会側と妙信講とで直接話し合え、ということになり、正本堂落慶式を前にして九月初めから九月三十日までの間に、実に七回にわたり、両者が対決して激論を交わすことになったのである。
さすがに元弁護士、その職業柄でしょうか。事実を論述することにおいて、当事者しか知り得ない状況にふれつつ、創価学会・自身にとって都合の悪いことも事態をつつみ隠さず記載しています。
当時の状況は、創価学会の六百万に対して、妙信講は一万に満たない一講中。そして、創価学会の宗内における権威たるや「創価学会に対し、実にもあれ不実にもあれ謬見を懐き謗言を恣(
ほしいまま )にする者ありとせば、其籍、宗の内外に存するを問わず、全て是れ広布の浄行を阻礎する大僻見の人、罪を無間に開く者と謂ふべし」なる訓諭に象徴される、すさまじいものがありました。
加えて、有能な会長側近と法律のプロたる弁護士・検事グループが周到に妙信講対策を練り上げ、あげくの果ては知らぬ間に盗聴までされる状況にありながら、孤立無援 ただ御遺命守護・護法の一念強きゆえ、相手方をなお凌駕して対峙した浅井講頭・本部長(当時)の当時の姿を知るものとして、その偉大さをいまさらながら思わずにはいられません。
音羽の旧本部で、そうした経緯と決意を逐一幹部講員に伝えられた浅井本部長の声は、いまもわたしの耳朶に響いて来ます。
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