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    師団解散と、師団員の身の振り方

 
妙信講戦争の終了後、私は、情報師団の解散を決意した。一人ずつ、創価学会の組織や本部の職場に移していった。本部に採用されない者も、ほかの職場や、後に述べる株式会社シーホースの役員にして、生活の保障をはかった。

 ( 中略 )

 竹岡、西口、河上らは、早くから組織に戻ったが、表向きの役職とは別に秋谷栄之助、野崎勲氏らの配下で、引きつづき盗聴や情報活動をやらされつづけた。

 ことに昭和五十二年からはじまった日蓮正宗との抗争においては、宮本孝(新宿替え玉投票事件中心者)らとともに、対寺院情報部である“教宣部”の中心スタッフとなり、つるしあげの録音や、各末寺の状況調査などに活躍した。最近彼らのまとめた報告書が、僧侶側の手に入り、物議をかもした。

 私の記憶では、このほかに、昭和五十年秋、総本山大石寺の大奥(御法主上人の御在所)で、一度、盗聴を行なっている。
 池田大作氏と私の二人が
御法主上人にお目どおりするに際し、重大な話であり、後で、ひっくりかえされないよう、証拠を取ろうと言われ、私の上着に発信機をつけて行った。これを、ちょうど正本堂と大奥の問のあたりの道路上で広野と竹岡が受信し録音した。

 ( 後略 )



 
御遺命守護からは離れますが、創価学会では組織的な盗聴が常態化し、宗門に対しても躊躇なく工作を仕掛けたことが知られる資料です。



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