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創価学会の圧力を証明する一つの証拠
( 前略 )
つまり、四月から池田氏は私に対する最後の復讐を考えていたのである。何に対する復讐であるか。いうまでもなく、昭和五十四年四月二十四日、池田氏の会長辞任劇の復讐である。池田氏は、「俺の首を切ったのは山友だ。仇を討て」と命令したのである。まさしく、逆うらみの典型である。
私は、いまの池田氏と創価学会の動きの中に言論問題当時のそれとの類似点を見出している。
池田氏は当時、国会喚問されることをさけるために必死だった。自ら電話をかけ、あるいは党首脳をわきにおいて電話をかけさせ、当時の佐藤首相はじめ、各党党首や政界の実力者に泣きを入れた。「何でもご恩がえしをします」「将来、公明党とおたくと合党しましょう」。その他、ありとあらゆる空手形を乱発した。
あれから十年。その間池田氏が、どれほどの悪をなしてきたか。国民の前に約束したことは反古にされ、表面を巧妙にカムフラージュすることだけが上手になり、内実はいっそう悪化した。権力との癒着はいっそう深く、財力におどり、会員は疲弊した。
ついには、自らを現代の本仏とあがめさせ、日蓮正宗そのものの乗っ取りまで図るほど、思い上がってしまった。
それを許した責任の一端は、私にもある。私は、この点だけは生命を賭けて阻止しなくてはならぬと思っている。
池田氏の、私に対する現在の報復手段はただ一つ。政治逮捕の実現以外にない。そのための裏工作のすさまじさは、とうてい筆につくせない。
なぜなら池田氏は、私を倒さなくては自分の将来はないと、思い決めているのである。この錯覚は恐ろしい。
池田氏が真に蘇生する方法は、自らの誤りをザンゲし、責任の所在を明らかにし、そして改めること以外にない。それをわかろうとしない。どこまでも自己肥大したコンプレックスを裏返しした権力志向の生き方を改めることのできない人は、こうなると悲劇的ですらある。
御遺命歪曲の発端は「言論弾圧問題」に関連して、「国立戒壇を目的とすることは憲法に抵触するのではないか」との趣意による、池田会長に対する国会証人喚問の政界の動きでありました。
池田会長が、どれほど証人喚問に恐れ・脅え・狼狽えたか、身近にそれを見ていた山崎元顧問弁護士の筆に記されています。
かれは一も二もなく、「創価学会の唯一の大目的」と称してきた国立戒壇を、放棄したのでした。
この小心な男の「自己保身」の為に、日蓮正宗の七百年来の伝統法義たる「国立戒壇」の御遺命が放棄・捨去され、正本堂こそ御遺命の「事の戒壇」であるとの誑惑が始まったのでした。
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