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私の決意
組織をうまく脱出した今年(昭和五十五年)八月から今日まで、私は身辺の整理と防御に忙殺されてきた。
原島氏や七人の告発グループの活動を見ながら、私はただ耐え抜いてきた。
いま、振り返ってみると、日本で最も巨大な、そして最もエキセントリックな宗教団体の中枢にいた十年間は、おそらく日本人として最も奇妙な仕事をした十年問であったに違いない。
幾重にも秘密のベールに包まれた中では、通常世間の価値観やルールは通用しない。ただ“池田先生がこうお考えだ”ということだけが絶対であり、それに従ってさえいれば幹部としての地位は安泰な世界だった。
その一点さえ踏まえていれば、たとえ世間的なルールに違反しょうと、私たちのような事件処理係と、公明党の権力がしっかりと守ってくれる。たとえ教義に違背しようと池田大作氏がいいと言えば、それでいいのである。
しかし、ひとたび反逆者のレッテルが貼られると、その人の身辺は敵意と、憎しみと、謀略の気配で包まれてしまう。当たり前のことが、昨日までの仲間や友人の偽りの証言で犯罪とされ、妻にさえ本人を憎悪することを要求して家庭を破壊する。“ウソも百ペん言えば本当になる”とばかり口コミで流される個人攻撃で、日本中に悪名が流され、家族までが迫害にさらされる。恐ろしい団体だと思う。しかし、そんなことで私の口を封じることはできない。
非情な“池田大作氏のマシン”から人間に帰った私は、自分の良心の命ずるままに真実を語りつづけるという固い決心をした。もちろん、その中には私自身がかつて犯した恥ずかしい罪のこともふくまれよう。
人間として私がいまなすべきことは、第一にかつてそのような非人間的なマシンの中核となつて働き、その結果、傷つけたり迫害したりした人たちに謝ることであると思っている。 いまからでも遅くないなら、その人たちの人権回復に努力することによって、償いもしたい。
第二に、真実の姿をできるだけ多くの人に知らせ、訴えなくてはならない。創価学会のような団体は、騙され、催眠術にかかる人がいなくなれは、やがて衰えていくものだ。
第三に、私に対する狂暴な報復から、身を守り抜かなくてはならぬということがある。私が健康でいる限り、巨大な檻の中で苦しむ人たちが勇気づけられ、立ち上がることができよう。
山崎元顧問弁護士は、池田会長から「闇の帝王」と呼ばれ、周囲からは「SCIA長官」と呼ばれたと、自ら語っています。
妙信講に対し、非人間的謀略マシンの中核として情報師団の総力を傾け、傷つけ迫害したその事実の一端を述べたことでしたが、わたしは未だ山崎元顧問弁護士が妙信講に謝罪した言葉を聞いたことはありません。
彼が「破邪新聞」なる謀略紙をもちいて、どれほどの悪辣な仕打ちを妙信講にしたことであったか、その資料の数々を所持するわたしは、やがてこの御遺命守護資料館で明らかにしていきましょう。
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