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「闇の帝王」
私が創価学会にいた間に担当した仕事は、大別して、
(1) 情報活動(昭和44〜53年)
(2) 事件処理(昭和39〜55年)
(3) 機構改革(昭和45〜50年)
(4) 渉外(昭和47〜54年)
(5) 組織活動(昭和38〜45年)などであった。
ことに、情報活動と事件処理は、私の仕事の中でつねに大きなウエートを占めた。
池田大作氏から、「お前は闇の帝王」と呼ばれ、あるいは皆からSCIA長官、山崎師団のボスなどと呼ばれて、裏の仕事に没頭した時期もあった。
いわゆる、“情報活動”が、私の守備範囲の中にあらわれたのは、昭和四十四年六月ごろ、創価学会学生部で“新学同”なる学生運動団体の結成に乗り出したときからである。
(略)
ある意味において、山崎氏のたぐいまれなる有能さを周囲が認めていた、ということなのでしょう。そして山崎氏はその全魂を傾けて、妙信講を壊滅させるべく裏の仕事に没頭したことでした。
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