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    会長就任後、池田は宗門支配・吸収
    戦略を露に

  昭和三十三年、戸田城聖が祈りと唱題の甲斐もなく五十三歳の若さで病死し、同三十五年、池田大作が三代会長となった。
 戸田城聖の代には、創価学会は、日蓮正宗からフリーハンドを得ることが目的に見えた。しかし、池田大作が会長になると、対日蓮正宗戦略は、逆に「
支配し、吸収する」ことへと一歩進められた。

 池田大作は、会長就任直後、日蓮正宗管長・六十六世日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行なった。
 後日、日達上人は私に、「
何で池田の若造に、法主の私が呼びつけられ、ドヤシつけられなくてはならないのか、後で口惜しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は、相手も若いことだし、我慢しました」と語った。

 日達上人は、公式には親創価学会路線を踏襲し、反学会色の強い寺院や僧侶を切り捨てる処分を行なっている。また、創価学会による折伏路線に全面的な支持を与えていた。

 昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十余億円を集め、その直後に都内品川区妙佼寺において正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作の席次と椅子が皆と同じなのが気に入らぬとケチをつけ、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。
 その責任をとらされて、日蓮正宗総監らが更迭され、日蓮正宗は以後、池田大作を法主の隣に、
法主と同じ待遇で坐らせること等を決めて“院達”として公布するなどした。要するに、日蓮正宗側が全面譲歩したのである。

 以後、池田大作は、法要の席では法主の真後ろに特別席を用意され、それ以外の時は
法主と同等の扱いをされることになった。




 就任早々の創価学会会長に、宗門の管長が呼びつけられてドヤシつけられたことの悔しさを、細井管長は山崎元顧問弁護士に縷々語ったのでした。

 また正本堂建設委員会の席で、「
席次と椅子が気に入らぬとケチをつけ」、と山崎元顧問弁護士は述べていますが、実際にはそんななまやさしい様子ではありませんでした。池田会長は、責任者の柿沼総監を、衆人の前で面罵したのでした。

 そして、一宗の管長と信徒代表が、同等の席次の扱いという異常。創価学会側の事情である国立戒壇放棄を、なぜに宗門が唯々諾々と従ってしまったのか、当時の創価学会と宗門の関係・状況を、雄弁に物語る事実の数々でありました。




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