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「こんな本は邪魔だから潰せ」
四十四年八月末、朝早く北条さんから自宅へ電話をもらい、私は学会本部で池田から一つの仕事を命じられた。「池田先生があんたに話がある。本部に顔を出してくれ」 その時、本部の応接間には北条、秋谷の両人が同席していた。
「政治評論家の藤原弘達が学会批判の本を出そうとしている。選挙前にこんな本が出るのは邪魔だ」
「藤原君は彼と面識があっただろう。すぐに相手と話をつけて、余計な雑音を押さえろ」
池田はいつもこの調子だった。要するに同じ時期、出版予告の出ていた学会批判書『創価学会を斬る』の筆者、出版元に談判して出版を中止させろというのが池田の指示であった。
学会勢力はすでに七百万世帯を越え、国会へ進出した公明党は衆参両院で五十人近い議員を擁する一大勢力である。こうした学会、公明党の動向がジャーナリズムの狙上にのせられるのは当然といえたが、一方で世の批判にはいっさい耳を貸さないという空気が池田大作をはじめ学会内部に強かった。
こちらは絶対正しい絶対善で、相手は絶対悪だ。学会に反対するものは全部悪だからやっつけろ! という論理である。当時は組織が日の出の勢いだったこともあり、創価学会上層部は学会幹部、公明党首脳ともにかなり世間を甘く見ていたともいえるだろう。
加えて、ちょうど同年暮れに第三十二回衆議院選挙が控えており、二度目の総選挙戦となる公明党は議席倍増を狙っていた。『創価学会を斬る」の出版がこの選挙戦へのマイナス要因となるのはだれの目にも明らかである。そんな本は手段を選ばず排除してしまえ。そんな強い思い上がりが学会全体を支配していた。
こうした力まかせの論理から、まず池田大作が強引な指示を出し、私が一方の主役を演じたのが、世にいう創価学会の言論出版妨害事件であった。
創価学会の言論出版妨害事件の主犯は池田大作会長であったことが、その実行の当事者自身の言葉ではっきりと語られています。
身に覚えがあればこそ、池田会長は国会証人喚問を、あれほどに怖じ恐れたのでありましょう。
そして言論出版妨害事件は、藤原氏も述べるように「強い思い上がりが学会全体を支配していた」こと、によるのでした。
さらに、「国立戒壇」放棄という御遺命破壊を遂行するにあたって、宗門を従わせしめ・言うことを聞かせ・抱き込むことなど、容易にしてどうにでもなると考えられたこと、また「強い思い上がりが学会全体を支配していた」ことによるのでありましょう。
そこにあって唯一の誤算は、小たりといえども「妙信講の存在」でありました。
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