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総じて王仏冥合を論ず
王法と仏法とが冥合すべきである。王法とは一国の政治、仏法とは一国の宗教を意味する。宗教が混乱するときには、国の政治も混乱する。
むかしを振りかえってみても、王法と仏法とが冥合している場合が多い。広く世界を眺めてみても、王仏冥合の傾向が顕著にある。民度の低かったときには、小乗経の戒律が必要であった。
されば、釈迦滅後五百年間の解脱堅固時代といわれるときには、小乗経と一国の政治とがマッチして平和が保たれたのである。次の釈迦滅後五百年以後一千年までの間、禅定堅固といわれる時代には、権大乗経が仏教の中心となり、政治は、これに冥合したのである。
ただ一言、ここにおいて述べておかなければならぬ問題がある。
釈迦滅後五百年間は小乗経で王仏冥合し、後の五百年間は権大乗経で王仏冥合したというのは、最高の文化国家を代表として説かれたのである。最高の文化国家は最高の宗教を要求する。世界全体が、一度に最高の文化国家になりえないことは、現代の世界をみてもわかる。
そのように、釈迦滅後干年間に権大乗経の流布した最高文化国は別にして、後進国たる文化の低い国においては、小乗経を唯一の国教としたところもある。
また、たとえば、チベットには、はじめ仏教がなかった。それで、中国では、像法時代の法華迹門という最高の仏教があったにかかわらず、チベットでは、同じ時代に方等般若部の仏法が行なわれて、チべット国家の政治と仏法とがマッチして、文化の交流が行なわれ、平和な文化国家が作りあげられたではないか。
(大白蓮華 昭和三十一年八月一日)
ここに戸田会長が語る、「王法とは一国の政治、仏法とは一国の宗教を意味する。宗教が混乱するときには、国の政治も混乱する」とは、まさしく日蓮大聖人の説かれるところでした。
しかして、この「王法」の義をねじ曲げて、「公の儀礼」(有職故実)やら「あらゆる社会生活の原理」などと述べたのが、阿部教学部長(当時)でした。
浅井会長は「国家の統治に関わる諸概念以外に『王法』の意は全くない」と、御書中の全用例三十八箇所を挙げて、詳細に示しています。
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