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     闇の帝王、池田大作をあばく

 法主の俳句で再び出た色気

 私の次なる仕事は、五月三日の“手打式”の段取りだった。このころになると、日達上人の心境にはっきりした変化が見られた。それは、池田辞任というところまで来たのだから、多少のことは目をつぶって、一度紛争をきちんと終らせ、けじめをつけたい、との腹を固められたことである。
 ただし、池田氏の勇退を額面通り受け止められたからそのようになられたものであることはいうまでもない。それがまやかしとわかっていたら、こうはいかなかった。

 四月二十九日、総本山で開かれた僧侶の会合では、日達上人は率先して今回の学会との和解の趣旨を説明し、質疑応答のなかで、これを推進する意思を明確に示された。五月三日の創価学会総会には、宗務役員、宗会議員等、主な僧侶にも出席を命じられた。そして、どのような内容の話をしたらよいかを、日達上人は私に御下問された。私は、野崎勲総務とそれとなくヒントを交わし合いながら、原案をまとめ、日達上人に差し出した。日達上人は当日、その原稿をそのままお使い下さった。

 終了後、猊下は、「
七つ鐘 鳴らし終りて 五月晴れ」と一句したためられて、池田氏に贈られた。後に、色紙に書かれるときに、“鳴らし終るや”となおされた。池田氏が辞任したことで紛争が解決し、五月晴れのようにさわやかな宗内となるように、との意味である。
 池田氏はこれを、“
今までの争いは水に流して、五月晴れの空のような関係にしましょう”という具合に、赦免状と受けとめたらしい。「再びオレが……」という色気に点火することとなってしまった。

 このころの日達上人の心境の変北を示す出来事のひとつに、五月一日付の宗務院人事があった。総監が早瀬日慈尊師から阿部信雄尊師(現日顕上人)に代り、教学部長に大村寿顕尊師が就任した。
 日達上人としては、ここらで紛争にピリオドを打ち、宗務院の新体制を確立して秩序を回復したいと考えられたようである。
 いきおい、宗務院を立てようとされる一方、活動家僧侶に対してはやや抑え気味のバランスをとられた。それが、活動家僧侶にとって不満であったことは致し方なかった。

 しかし、それでもなお、日達上人は池田氏と創価学会新執行部、それに、いずれ詳しく述べるが、阿部新総監の、「
学会べッタリをやめて、日蓮正宗僧侶としての立場で、厳正に職務を行う」との誓いを信じて、宗務院と学会新執行部の間の、新しいルールが確立されることを期待しておられた。
 この期待はしかし、一ヵ月ばかりすると次第にかげり始め、二ヵ月もたつと激しい失望感にとってかわり、日達上人を苦しめることになる。そして、七月二十一日、日達上人の劇的な死によって、事態は予想外の進展をたどり始めるのである。


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 この昭和五十四年四月末に開催された教師代表者会議で、細井管長は池田会長について 「会長をやめて一切の責任を退く、今後はそういうことを口に出さない、またうわさされる院政ということも絶対にしないということも表明してくれました」と述べ、「宗門としても一応解決したものと思う。今後、学会から無理に檀徒として引っ張ってくることはいけない」と、反学会活動を抑えることにつとめました。
 反学会派の僧侶達からは、細井管長や出席していた北条新会長ら学会首脳幹部に批判的質問が続出しましたが、細井管長は敢えてそれを制止したのでした。

 そして五月三日の総会において池田新名誉会長は 「
本宗における厳粛なる法水瀉瓶・唯授一人の血脈は、法灯連綿と代々の御法主上人猊下に受け継がれて、今日に至っております。あくまでも御本仏は日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります」と述べ、さらには「私ごとき者を、かりそめにも本仏などと言うことはもちろん、 思ったりすることも謗法なのであります」と、殊勝な発言をしたことでありました。

 それからわずか二ヶ月あまり後、誰もが・そして当の御本人とて思いもよらず、細井管長は急逝されたのでした。
 そしてその後の事態は、宗門に
おいては学会べッタリの阿部総監が管長職に就き、また創価学会においてはより強烈な池田独裁体制が敷かれるという、山崎元顧問弁護士にとっても 「想外の進展をたどり始め」たことでした。
 そうした進展は、山崎氏が言うような「
法主の俳句で再び出た色気」といったこと、ではなかったことでありましょう。「俳句」は、ちょっとしたエピソードではありましたが、それがあろうとなかろうと、その後の事態に違いはなかったことでしょう。

                          ( 平成十四年二月二十八日、櫻川 記 )


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