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     これでも池田大作を信ずるか -- 創価学会の友に訴える --

       第一章 信じ難い現実
        
どれが本当の指導なんだ

  
これではまるで詐欺ではないか

 そして本門戒壇建立の時すなわち広宣流布達成の時と、明確に指導されたのである。しかし現実は験しい。
 正本堂完成の昭和四十七年から現在に至るも、広宣流布がまだまだ未来のことであるのは、いかに池田会長や創価学会のいうことを盲目的に信じてきた私達にもはっきりしている。(略)

 こんな状況で広宣流布とは、池田会長や創価学会幹部は気が狂ったのか、と思っていたら、正本堂完工式のときに、またまたそれまでと違うことをいいはじめた。
 昭和四十七年十月三日の「聖教新開」に、「正本堂落慶の時を迎えて」と題する和泉理事長(当時)の発表があった。

14) 「
私達の待ちに待った正本堂落慶の日を、ついに迎えることとなった。だれびとの胸中にも万感迫る思いであろう。……ここで私達が銘記したいことは、再び心新たに広宣流布の大目的に向かって、未曾有暫廃(みぞうざんぱい)の決意で進むことである。
 ……ひるがえって、現今の世界は「末法濁悪」の御金言の通り、濁乱の様相を色濃く漂わせている。……苦悩のうめきは、深く、また大きく、私達の耳を打つ。しかし、この大悪は大善の瑞相であり、黎明を待つ深き闇であると考えたい。今や、顕在的にも潜在的にも、偉大な宗教を求める方向へと時代は動いている。……大聖人の仏法は、本因妙の仏法である。全民衆を救おうとの大聖人の大精神に立つならば、現在は広宣流布の一歩にすぎない。
 したがって、
正本堂は、なお未だ三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇の完結ではない。ゆえに正本堂建立をもって、なにもかも完成したように思い、ご遺命は達成してしまったとか、広宣流布は達成されたなどということは誤りである。また、この正本堂には信心強盛の人のみがここには集いきたり、御開扉を願う資格がある。したがって、正本堂は広宣流布のその日まで信徒に限って内拝を許されることはいうまでもない」(「聖教新開」、昭和四十七年十月三日)

 これではまるで詐欺ではないか。“
御本仏日蓮大聖人様の御遺命たる本門戒壇建立のため……正本堂建立に御供養申しあげる、大福運と大功徳”と池田会長の指導があったからこそ、私達創価学会員は大福運と大功徳を信じて、御供養したのである。退転者や外部の人達が、財産を処分したり借金をしてまで、と私達の御供養に悪口をいっていたが、本当に事の戒壇建立のために必要ならば、私達創価学会員は日蓮正宗信徒として、命を御供養することもためらわない。

 それなのに、正本堂が完成してみたら、“
正本堂は、なお未だ三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇ではない”といわれたら、詐欺だといいたくもなろう。御供義金返還訴訟を起こす人が出るのも、けだし当然といえよう。これらの人達に、創価学会では金を返す、といったそうだが、金を返してことが済むとでも思っているのだろうか。池田会長や創価学会の幹部は、創価学会員の「まごころ」をなんと思っているのだろうか。

                       ( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )


 下山正行氏が「
これではまるで詐欺ではないか」と言うほどに、創価学会のこの変節は大きなものでありました。そしてその背景には、講中の命運を賭しての妙信講の御遺命守護の働きがあったのでした。

 昭和四十七年十月の正本堂落成式を眼前に、妙信講と創価学会の最後の法論が常泉寺において九月十三日より同二十八日までの間七回にわたって行われ、その激論の末・創価学会はついに自らの非を認め、機関紙上における訂正を約したのでありました。

 正本堂を「
三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇」と云いこれを以て「御遺命は成就、広宣流布は達成」と云い続けた誑惑を、自ら「誤りである」と明言し、「正本堂には信心強盛の人のみが…」以下の文言で正本堂の性格を奉安殿の延長と規定し、明確な誑惑の訂正がなされたのでした。

                        ( 平成十四年五月十九日、櫻川 記 )


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