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     これでも池田大作を信ずるか -- 創価学会の友に訴える --

       第二章 同門、妙信講の主張

      
「事の戒壇」は「国立戒壇」であるという主張

  
事の戒壇と国立戒壇についての推移と変化

 「
さて、広宣流布は、仏意であり、仏勅であり、われわれ凡夫の力をもってとして、これを左右することは絶対不可能である。広宣流布とは、結論をいえば、民衆救済の方程式と称していうのである。これには二つの姿がある。化法と化儀の広宣流布である。
 日蓮大聖人、御年三十二歳にして、南無妙法蓮華経とお唱えあそはして、御年五十八歳で、一閻浮提(世界)総与の大御本尊を顕わされたのである。これを化法(法体の建立)の広宣流布というのである。(略)
 化儀の広宣流布とは、国立戒壇の建立であり、国立戒壇建立の前提として、真の広宣流布のために、本尊流布(折伏)をしなければならないのである。日本国中の人たちが、大御本尊の偉大さを肝に銘じてこそ、真の広宣流布ができるのである。
 戸田会長は、次のように広宣流布の姿をのべている。『
広宣流布の姿におきまして、また広宣流布の途上におきましては、経済界に、あるいは新聞社において、あるいは雑誌において、またこれに類似する文化活動において、あるいは映画において、あるいは政治において、また会社の重役といえども会社の小使いといえども、皆、御本尊のありがたいことがわかって、これらの人々のなかから国会議員が出て、国立戒壇の請願が出され、国会で可決され、天皇陛下も、またこの御本尊のありがたさを知ってこそ、はじめて広宣流布ができるのです』と。ゆえに化儀の広宣流布は、もっとも重要な広宣流布である」 (「大白蓮華」、昭和37年5月号)

 このように、事の戒壇即国立戒壇といっていたのが、数年後にはつぎのように変わってくる。

 「
戸田先生も我々も、一時『国立戒壇建立』といってきました。どこを捜しても御書には『国立戒壇建立』ということばは無いのです。大聖人様はちゃんと未来を考えていらっしゃったのです。いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』と云いますが、私は何をいうかと云いたい。そんなことは御書にはありません。彼等はなにもその本義を知らないのです」 (昭和40年9月20日、池田会長講演)

 「
昔は専制時代、封建時代であったので、必然的に国王が信者の代表となり、戒壇建立の施主となった。このため、国立戒壇というイメージが、伝統的となっていた時代もありました。だが日蓮大聖人の仏法においては、戒壇は三大秘法抄にある如く三国のみならず一閻浮提の人々の懺悔滅罪の道場であります。しかも施主も、いまは民主主義の時代でありますから、民衆が施主となる。したがって国立といっても、内容は民衆立と同義になります。かつて戸田前会長のときに、国立戒壇という名称を用いたのも、真意はあくまでも民衆立という意味であり、戸田前会長もみずから民衆の純真な信心の確立なくして国家権力で戒壇を建立しても、かえって仏法を破壊するものであると断言しております(略)」 (「大白蓮華」、昭和42年6月号)

 ここに見られる論理のスリカエを、いま論じようとは思わない。ただ創価学会において事の戒壇と国立戒壇についての指導・説明における、推移と変化が認識できればよい。その意味で、もう一つの例を引用する。

 「
この正本堂の意義について御書は私達に甚深の法門を教示している。三大秘法抄にいわく『戒壇とは……給うべき戒壇なり』……、ここに『勅宣御教書』とは天皇・将軍(幕府)の命令書のことだが、これは、古来、戒壇が勅許であった例にならわれて、当時の民衆の機根にあわせて大聖人がかく仰せになったものである。建立の本意が全民衆の幸福にあることは、末法万年変わらぬ宗祖の御遺命である。そして民主政治の今日、それは民衆立であるのが、大聖のご真意であり、権力の魔性に身に寸鉄帯びず闘われた御本仏の心にかなったものといえよう。御書を遂条約・訓こ注釈的に読み、御教書を国会の議決とみるのは、まだ皮相的であり、国会の議決などの形式は不要なのである。民衆そのものに直結した建設であり、全民衆を代表した八百万信徒の浄財、発誓願文の宣言に始まる一連の荘厳な儀式の遂行こそ、まさにこの御文をそのまま読んだことになるのである」 (「聖教新聞」、昭和45年1月16日)

                       ( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )


 ここで、「
事の戒壇と国立戒壇についての推移と変化」を下山氏は示すのでしたが、せっかくですから省略されたその「論理のスリカエ」を、少しばかり指摘しておきましょう。

 「
民衆が施主となる。したがって国立といっても、内容は民衆立と同義」であるならば、全民衆の熱願と施による本門戒壇は、まさしく「
国立戒壇」ではないか。
 そして、「
民主政治の今日、それは民衆立である」とは、皮相の語呂合わせでしかないことでしょう。「民主政治の今日」、それでは<国家>はどこに行ってしまったのだろうか。「民主政治の今日」には、国会も憲法も政府も皇室も不要になった、とでも云うのだろうか。まことに、「なりふり構わぬ強弁」でありましょう。

 さて、「
権力の魔性に身に寸鉄帯びず闘われた御本仏の心」と言うなら、未だ謗法充満の今日において政権与党の「権力の魔性」の中核に位置することが、どのように「御本仏の心」に適うのだろうか。これでは下山氏に 「一貫性」のない「目先の都合」で「クルクルと変わ」る「嘘言症的言辞」と云われても、しかたないことでありましょう。

                        ( 平成十四年六月七日、櫻川 記 )


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