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     創価学会の宮本議長宅電話盗聴事件判決

   裁判までの経緯

 事件の背景、動機や裁判上の主な争点、裁判所の判断等の内容は、以下の判決文にくわしいが、事件と裁判の経過について若干のべておきたい。

 宮本議長宅に盗聴器が設置されていたのを発見、摘発したのば一九七〇年七月である。日本共産党はただちに東京地検にたいし、犯人の捜査と処罰を求めて有線電気通信法違反や公衆電気通信法違反などで告訴した。電電公社も同様の措置をとった。しかし、犯人不明のままこの事件での時効期間(五年)がすぎ、事件は闇に葬られたかにみえた。

 ところが一九八〇年、事件発生の十年後にいたって盗聴グループの重要な位置にいた
山崎が、事件を詫び、宗教団体としてあるまじき創価学会の謀略と欺瞞に満ちた体質を暴露する形で真相を告白するにいたった。

 日本共産党はこれについて一定の調査結果を得たうえ、一九八○年六月、創価学会にたいし
公開質問状で謝罪と事実の公表を求めた。
 この公開質問状は創価学会によってまったく無視された。そのうえ、
刑事責任の追求は時効の壁にはばまれて不可能になっていたので、やむをえず、宮本議長が、日本共産党の活動の自由にとってはもとより、国民の基本的人権と日本の民主主義にとってもゆるがせにできないとの立場から、自らの受けた被害の回復と真実の究明を願って、一九八〇年八月、北条ら五人を被告として損害賠償一千万円を求める民事訴訟を東京地裁に提起したのがこの裁判のはじまりであった。

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 宮本議長宅の盗聴事件は昭和四十五年七月に事実が発覚したものの、犯人不明のまま既に時効となっていました。が、その十年後に盗聴の実行責任者であった山崎元顧問弁護士が真相を告白したことから、ようやく事件の全貌が明らかになったことでした。

 昭和四十五年七月十一日、各新聞はいっせいに「
宮本顕治共産党中央委員会幹部会委員長の自宅(東京都杉並区)へ引込まれた電話線に盗聴器が仕かけられていたことがわかり、同党は十一日、国家公安委員会、公安調査庁、警察庁、警視庁に対し『これは公安当局のスパイ活動であり、民主主義と憲法をふみにじるゆゆしい事件である』と抗議した」(『朝日新聞』、昭和四十五年七月十一日付夕刊)等と報じました。

 共産党としては当時、創価学会による盗聴とは夢にも思わず、ひたすら「当局によるスパイ活動」と信じて、国家公安委員会・公安調査庁・警察庁・警視庁に対し、ただちに激しい抗議を行ったことでした。

                          ( 平成十四年一月二十七日、櫻川 記 )


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