ご意思を継ぐ新たな前進
冨士大石寺顕正会 会長 浅井城衞
昨年十月十六日、顕正会初代会長・浅井昭衛先生が安詳として御逝去された。御年九一歳であられた。
その御臨終の相はまさに御金言に寸分も違わず、「善人は設い七尺八尺の女人なれども、色色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる、又軽き事鵞毛の如し、輭なる事兜羅綿の如し」(千日尼御前御返事)との仰せのままであった。
私自身、御葬儀までの数日間、折にふれて唱題回向するたびに、その「光を放つ」がごとき御相を拝しては、何度、感嘆のため息が漏れたか知れない。
そして、かかる美事なる成仏の妙相を、七百余名の代表幹部が間近でご拝顔し、あるいはそれを伝え聞いた全顕正会員も、深い深い悲しみの中にも、大聖人様の大慈大悲・御本尊様の有難さに咽んだ。
この「眼前の証拠」こそ、昭和三十二年の発足より今に至る六十六年に及ぶ先生の忠誠の戦いが、大聖人様の御意に適い奉るの証明であり、それは同時に、先生のお心のまま、指さされるままに前進するならば、私たちは一生成仏と広宣流布を必ず叶えさせて頂けることを意味している。
またこれ偏に、先生ご自身が我ら弟子一同に、御遺命成就のその瞬間まで戦い抜く、決して揺らぐことのない絶対信の源を、命の奥深くに打ち込んで下さったご慈愛と涙の中に拝するばかりである。
浅井先生へのご報恩の赤誠を滾らせて戦った昨年の最終法戦は、顕正会始まって以来の三万八千二〇四名という空前の弘通がなされた。これにより顕正会は二四七万四千二四〇名になり、一分でも先生へのご報恩に擬し奉ることができた有難さは筆舌に尽くせない。
そしてこの大折伏により、先生のご遺志を奉じて御遺命を実現すべく開始した、新たなる前進の道が豁然と開かれたのである。その意義はまことに大きい。
一方、先生の御逝去からひと月経った十一月十八日、"十一月十五日の夜半に池田大作が死亡し、すでに近親者で家族葬を済ませ荼毘に付した"と、学会執行部は不自然きわまる形で池田の命終を公表した。
ことに重大なことは、学会首脳の誰一人として、池田大作の臨終の相についてふれることができなかったことである。
このことは、それが決して誰の目にも触れさせられぬほどの悪相だったことを如実に物語っている。
御書のいたるところに臨終についての仰せが拝せられるように、大聖人様は臨終を重視あそばしておられる。なぜなら、臨終こそが成仏・不成仏を判ずる厳たる証拠だからである。ゆえに「されば先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(妙法尼御前御返事)と。
池田大作の堕獄は池田個人の問題ではない。これ、六百万学会員の「入阿鼻獄」を意味する「眼前の証拠」ゆえに、学会員はそれに刮目しなければならない。
第六天魔王その身に入りし池田大作は、「選挙に不利になる」との理由から、御本仏一期の御遺命たる「国立戒壇」を否定して偽戒壇・正本堂を建設し、これを「御遺命の戒壇」とたばかり、強大な権力と金力で籠絡した「時の貫首」をこの誑惑に協力せしめた。
また池田大作は、会長の原田稔をして「弘安2年の御本尊は受持の対象にはしない」と公式に発表させ、あろうことか大聖人出世の御本懐たる「本門戒壇の大御本尊」を、全学会員に捨てさせ奉ったのである。
会員から集めた莫大な財務で世界中から四百を超す名誉称号を買い漁って、たとえその身を飾るとも、「御遺命破壊」「極限の大謗法」という仏法上の大罪を犯した池田大作の悪臨終は、推して知るべしである。
大聖人様は偽善で名利を求める良観を破され「人目はよきやうなれども、後生はおそろしおそろし」(上野殿御返事)と仰せ給う。
六百万学会員が早く悪師を捨てて、浅井先生を無二の師匠と仰ぎ、ともに御遺命成就に戦う同志とならんことを心から念願するばかりである。
一方、宗門をみれば、池田大作に阿諛迎合して御遺命を売り渡した二代の貫首、すなわち細井日達は大事の御相承をもなし得ずに急死して堕獄の悪相を現じ、また阿部日顕は四〇年にわたり「詐称法主」の辱めを受け、やはり悪相を現じて命終した。今や宗門は餓鬼道に堕してしまった。
しかるに、未だに一分の改悔もなく、御遺命の「国立戒壇」は正系門家から消滅したままである。
かかる濁乱こそ、日本が亡国の大難を招く根本原因である。
「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば影ななめなり」(富木殿御返事)と。
また大聖人様は、伝教大師の正系門家・比叡山に仮託して、この道理を御教示下されていわく
「仏法の滅不滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆえに、異国我が朝をほろぼさんとす」(法門申さるべき様の事)と。
いま日蓮大聖人の正系門家・富士大石寺の仏法が濁乱するゆえに、強力な核兵器を持つ修羅の軍事独裁国家の中国・ロシア・北朝鮮は日本を侵さんとしている。その時の悲惨はいかばかりであろうか。
しかし、日本の為体を見れば、己れの利権と選挙のことしか頭にない腑抜けた政治家をはじめ、一国上下万民は目先の安逸を貪るばかりで、亡国が眼前に迫るを知らない。
いざ台湾有事・朝鮮半島有事、そして恐るべき他国侵逼が起きたら、ただ狼狽え、右往左往するのみであろう。
「学会・宗門は御遺命に背いたゆえに、広宣流布に戦う資格も力も失ってしまった。顕正会が立たずして、誰人が大聖人様に応え奉るのか」との、浅井先生の裂帛の師子吼が強く耳朶を打つ。
そこに、先生のご遺志を継いで御遺命成就を熱涙の中に誓った我ら弟子は、いかなる戦いをなすべきか―。
「恋慕渇仰の信心」「心かたき絶対信」に立つ人材で打ち固めた盤石なる三百万の大陣を急ぎ構築し、第三度の一国諫暁に立たせて頂くのみである。
私たちはこれまでに、先生の激闘に伴う数々の不思議を拝見させて頂いた。ことに、池田大作が「仏教三千余年、史上空前の偉業」「末法万年尽未来際まで、不滅の大殿堂」と豪語し、細井日達も「この正本堂に戒壇の大御本尊を永遠に安置する」と宣言した偽戒壇・正本堂が、先生の二十八年にも及ぶ連々たる諫暁により、ついに凡夫の思議を絶する展開で、この地上から姿を消した大現証は、強烈なまでにこの目に灼きついている。
また先生は、平成九年と同十六年に、一国諫暁にお立ちになっておられるが、平成十六年の諫暁書の冒頭に認められた
「日本は今、亡国の前夜を迎えている。その亡国は、どのような災難によってもたらされるのかといえばまもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病等の災難が続発し、ついには亡国の大難たる自界叛逆と他国侵逼が起こるのである」
との事前告知は、もはや誰人たりとも否定はできない。
大聖人様の申しつけにより諸天が作った客観状勢の中で、三百万の地涌の菩薩の大集団が、亡国におののく全日本人に対し「早く日蓮大聖人に帰依せよ」との諫暁に立つなら、広宣流布の大気運は一時にみなぎる。
かくして「梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」(上野殿御返事)は事実となる。すべては大聖人様の絶大威徳と大慈大悲によるのである。
さあ、先生の薫陶を受けし私たち弟子一同は、「我地涌の菩薩なり」との鉄石の大確信に立ち、全く新たな前進を開始しよう。
そして、先生が命尽くまで戦われた御遺命の国立戒壇建立を事実とし、甚重の師恩に報じてまいらねばならない。
先生は霊山より我らの御奉公をじっとお見守り下さる。
広布決戦場の第五年、全顕正会は打って一丸となり、美事なる御奉公を以てお応えしてまいろうではないか。
令和六年 元旦 ( 顕正新聞 令和5年1月5日 第1636号 )