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顕正新聞 平成十二年二月十五日号
日興上人御報恩勤行会厳粛奉修
身延離山の崇高の御精神拝す
二祖日興上人の六百六十八年御正当の御報恩勤行会が、二月七日、本部会館および同時放送会場の全国主要会館・事務所で厳粛に奉修された。
本部会館ではこの日、厳しい寒さのなか、日興上人の御恩徳を偲び奉り、地区部長・支区部長・隊長・区長等の代表幹部および有志会員約一千三百余名が定刻三十分以上前から威儀を正して参列、階下ロビーまでぎっしりと埋め尽くされた。
午前七時きっかり、浅井先生の唱導で勤行が開始され、厳粛なる読経・唱題は場内に響きわたる。勤行ののち、先生は日興上人の「原殿御返事」の一節を朗々と奉読された。
「身延沢を罷り出で候事、面目なさ、本意なさ、申し尽し難く候ヘども、打ち還し案じ候へば、いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて世に立て候わん事こそ詮にて候へ。さりともと思い奉るに御弟子悉く師敵対せられ候いぬ。日興一人本師の正義を存じて本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚へ候へば、本意忘るること無く候」
ついで先生はこの御文に基づいて、日興上人の身延離山の御心情と、大聖人の御遺命を堅持あそばす鉄石の御心について述べられた。
その中で先生は「御弟子悉く師敵対せられ候いぬ」について、五老僧の退転が、弘安七年・八年に起きたいわゆる「鎌倉法難」にあったことを指摘され、さらに身延離山の本質を 「世間に諮って大聖人に背き奉った門下一同に対し、日興上人御一人、大聖人の御心のままに御遺命を貫き通されたところにある」と述べられた。
そして最後に「いま広宣流布の前夜において、学会もまた五老僧と同じく、魔に誑かされて、大聖人に師敵対の姿を現じている。その濁乱の中に、いま顕正会だけが、日興上人の身延離山の御精袖のままに、大聖人様に対し奉り忠誠を貫き通せるということは、何と有難いことか。もう広宣流布は最終段階である。一切の魔の便りを排して、一筋に大事な御奉公を貫き、以て御本仏大聖人・日興上人のおほめを賜ろうではないか」と力強く結ばれた。
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