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顕正新聞 平成十二年十一月十五日号
新本部会館晴れて落慶御入仏
広布最終段階の本陣ここに成る
浅井先生の講演
最後、浅井先生が二十五分間にわたり講演された。その内容は重大であった。
先生は晴々としたご表情で、まず、旧暦十月十三日の大事な日に、広布最終段階の本陣に御入仏が叶った有難さを吐露された。
ついで、この日懸け奉った御本尊について「富士大石寺第二十八世・日詳上人が、いまから二百六十七年前の享保十八年に書写あそばされた大御本尊である。この御本尊は顕正会が感得し奉った顕正会重宝の御本尊である。すなわち御遺命守護のゆえに顕正会が理不尽なる解散処分を受けたとき、宗門僧侶の中でただ一人“顕正会が正しい”と言って、国立戒壇の正義を堅持して同じく擯斥処分を受けた松本日仁尊能化が、私に託して下さった御本尊様である」と、その由緒を示されるとともに「日詳上人は、あの御高徳の日寛上人から直接御相承を受けられた貌下である。日寛上人が広宣流布のためにと後世に残されたあの重大な六巻抄も、この日詳上人に託されている」と述べ、日寛上人と日詳上人のうるわしい間柄を説明された。参列の全員は、日寛上人とかくも深き縁ある日詳上人の御本尊を拝せる顕正会員の有難さを、命の底からかみしめた。
次に先生は、過去の御遺命守護の御奉公における凡慮を絶する「不思議の還御」を例として、最終段階のこの法城において、第二の不思議たる「日本国一時に信ずる」の大現証も必ず拝見させて頂けることを、強々と断言された。
さらに「その前に、必ず富士大石寺に清流が蘇り、国立戒壇の御遺命を堅持される正しい貫首上人がご出現になる。そのとき顕正会はその上人のもとに馳せ参じ、命かけて守護し奉る。この思い、私は前々から常に抱き続けている。実はこの本部会館には『特別応接室』が設けられている。私はここを、心の中で『貴賓室』と呼んでいる。やがて時来たれば、国立戒壇堅持の猊下をお迎えする日が必ず到来する。その用意として設けた一室である」と述べられた。
--- 宗門に国立戒壇の正義が蘇る日を、先生はいかに熱願し待たれているのか。その深きお心を知り、満場にすすり泣きの声が洩れた。
最後に先生はさまざまな亡国の予兆を挙げられたのち「もし他国侵逼が起これば、日本はそのとき亡ぶ。だが、この濁悪の日本国の中に、すでに七十五万の仏弟子の大集団が出現している。大聖人様は、この仏弟子の大集団をして戦わしめ、一国に日蓮大聖人の重きを知らしめ、帰依せしめ給うのである。すべては顕正会の一千万への大前進にかかっている」
「顕正会の死身弘法の赤誠が御本仏の御心に叶うとき、御本仏の御威徳により『日本国一時に信ずる』が、必ず事相となる」
「御遺命成就の日、戒壇の大御本尊様はいよいよ富士山・天生原の国立戒壇にお出ましになる。このとき全顕正会員は天生原までの四キロの道のりを、全員で紅の涙を流しながら御供申し上げようではないか」と烈々と結ばれた。
先生の最後の本陣にこめられた深き思いと一国広布への熱鉄のごとき決意に接した全幹部は、熱涙のなか“この本陣で先生と運命を共に…”と燃えるような決意を固めた。
かくて言い知れぬ感動うずまくなか、午後一時、落慶御入仏式の一切は終了した。
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