|
顕正新聞 平成十三年一月十五日号
東北代表者会議に三千三百人
日目上人の御跡慕い新しい戦い開始
「御生骨」の重大指導に全員身震い
浅井先生の講演
最後に浅井先生が大拍手の中に登壇、約五十分間にわたり、重大な指導をされた。
息をのんで待つ全員に、先生はまず「顕正会は新しい時代に突入した。最後の本陣たる新本部会館も築かれ、いよいよ広宣流布の最終段階の時を迎えた。顕正会は日目上人の御跡を慕って、御本仏日蓮大聖人、二祖日興上人に応え奉らねばならない。よって日目上人ゆかりの東北の地で、本日、代表者会議を開催し、最終段階の戦いをここに開始したのである」 と本大会の重大意義について述べられた。
ついで先生は 「日目上人という御方は、下種の三宝様すなわち御本仏日蓮大聖人と、戒壇の大御本尊と、二祖日興上人に直接仕え奉り、御遺命を重しとすることかくのごとくあれかしということを、滅後の我ら末弟に身を以て教えて下された御方である。ゆえにいま広布前夜に戦う顕正会員こそ、日目上人の御心を体して戦わなければいけない」と述べられたのち、日目上人の恩徳を偲び奉り、日目上人の御出生から御遷化に至るまでの尊きご事蹟を、一語一語かみしめるように述べられた。
なかでも、最後の天奏に際しての日目上人の御心を拝察しての先生の情感こもる一語一語はまことに有難く、満場が涙した。
そして先生は 「この日目上人が『先師の地望』と仰せられた広宣流布・国立戒壇の御遺命は未だ遂げられていない。そこにいま広布前夜に生まれ合わせた顕正会員こそ、この日目上人の御心を体して御遺命実現に戦わねばならぬ立場に置かれている。ここにいよいよ新しい戦いを起こさねばならぬと、私は深く決意している」と強々と叫ばれた。
そして最後に先生は、これまで一度も触れられたことがなかった「御生骨」について、初めて「時来たるゆえに」として言及された。
「御生骨とは、御肉付きの御歯とも御肉牙(おにくげ)とも云われ、富士大石寺に七百年伝わる秘宝である。弘安五年、御入滅近き大聖人様が武州池上にましました時、御歯が一本脱け落ち給うた。大聖人はこの御歯を日興上人に授けられ、おそばに侍る日目上人にこれを護持せしめ給い、かく仰せられた。
『我が仏法は最勝深秘の大法にして、末法万年の間を照らすこと必定なり。広宣流布は疑いなきゆえに、その証明とせよ』と。
この御歯には、脱け落ちたとき、少し御肉が付いていた。なんと不思議なことに、その御肉が年々増えていく。増殖しているのである。ゆえに『御生骨』という。
そして広宣流布の時には、御肉が御歯の全体を覆い、光を放つと言い伝えられている」
「何と不思議なことか。凡慮を絶するとはこのことである。まさしく仏力の所作であられる。この厳然たる事実を拝見するとき、身震いの中に感ずることは、大聖人の仏法は生きているということである。だから御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えれば、功徳が出てくるのである」と。
この身震いするような大現証を耳にした全幹部は“なんと不可思議なことか”と、言葉を失うほどの衝撃と感動のなか、言いしれぬ広宣流布への大確信に立った。
さらに先生は、広布の大瑞たる未曾有の大悪が正系門家と一国に現出していることを指摘され、最後に「亡国を前にして、いま七十六万の仏弟子の大集団が濁悪の日本国に出現している。大聖人様はこの顕正会をして戦わしめ、最後の戦いを起こさしめ給うのである。いかに逆縁が厚かろうとも、いかに一国に怨嫉うず巻くとも、顕正会の死身弘法の赤誠ついに大聖人様の御心に叶うとき、『梵天・帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし』は必ず事相となる」
「この第二の不思議、そして御生骨が光を放つお姿を見せて頂くその日まで、顕正会は一筋の御奉公を貫き、大聖人様のお褒めを賜ろうではないか。まず東北こそ、この戦いの先陣を切ってほしい」と烈々と結ばれた。
魂をゆさぶるような先生の指導に、場内は感動のるつぼと化し、全員が「御生骨の不思議拝見のその日まで、先生と運命を共に…」との燃え立つような決意を固めた。
最後に「両眼滝のその日まで」を全員で熱唱。かくて大感動うずまくなか、午後二時三十五分に東北代表者会議は終了した。
このあと、メインホールに入れなかった二千人に対し、先生は「ぜひ会いたい」と、二千人が立つたまま集合した第二会場に赴き、全員を暖く励まされた。先生のもったいないまでのご配慮に誰もが心から感動し、場内には大熱気がうず巻いた。
終了後は、さまざまなグループに別れて、会場の至るところで感激の語り合いが日が暮れるまで続いていた。
|
|
戻る
|