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顕正新聞 平成十三年一月十五日号
元旦勤行 浅井先生ご挨拶
大聖人御入滅後すでに七百二十年、広宣流布はいよいよ最終段階
諸法実相抄に曰く「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へ伝ふるなり。未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや。剰へ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」
全国の顕正会員の皆さん、新年、明けましておめでとうこざいます。(おめでとうございます)
年の始めの元旦勤行に当たり、ただいま大御本尊様に対し奉り、下種三宝尊の御威光倍増と、御遺命たる広宣流布・戒壇建立の大願成就と、そして広宣流布に戦う全国顕正会員の息災延命を、心から祈念させて頂きました。
昨年は、旧暦の十月十三日に最終段階の本陣たる新本部会館が完成し、同じく旧暦の十一月十五日に東北代表者会議を開き、あえて御生骨の大事にふれ、最終段階の戦いの開幕とさせて頂きました。
ただいま、広宣流布についての大聖人様の大事な御文を拝読させて傾きましたが、御指南のごとく、御本仏日蓮大聖人がただ一人唱え出し給うた三大秘法の南無妙法蓮華経は、大聖人の慈悲広大によって、断絶することなく流れ広まっていくのであります。この流れが、富士大石寺門流であります。
そして時来たれば、上一人すなわち天皇を始めとして、全国民ことごとく声をつるべて「南無妙法蓮華経」と唱え奉る時が必ずくる。このことを「剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」と断言あそばされているのであります。
仏様は未来を鑑みること、我が掌を見ることくです。その御本仏が「大地を的とするなるベし」と御断言されたことが、どうして虚しくなることがありましょうか。
いますでに、大聖人御入滅後七百二十年。いよいよ広宣流布は、最終段階を迎えたごとくであります。
そのゆえは、広宣流布の大瑞たる大悪が起きたからてあります。
富土大石寺の門流は「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」との御本仏の御遺命を畏(かしこ)み、国立戒壇の建立を唯一の宿願としてまいりました。この元旦勤行も、二祖日興上人が国立戒壇の建立を祈願された丑寅の勤行を、今日に伝えたものであります。
しかるに第六十六・七代の二代にわたって あろうことか、俄かに建てた正本堂を指して「御遺命の戒壇である」とたばかり、国立戒壇を永久に放棄する旨を宗門の公式決定としてしまった。まさに御遺命を破壊せんとしたのであります。
命をかけても御遺命を守り抜くべき立場の貫首が、自ら「国立戒壇」を抹殺せんとしたのです。池田大作にそそのかされたとはいえ、これは断じて許されることではない。
日興上人は「衆議たりと雖も仏法に相違有らば、貫首之を摧くべき事」と御遺誡されている。いかなる圧力があろうとも貫首は、大聖人様の仰せに違うことは断固として摧くべき義務がある。また摧くべき権能がある。
ところが、貫首自ら正本堂の誑惑に加担し、これを諌める顕正会を解散処分にしたということは、まさに七百年来曽ってなき大悪であった。
大聖人様は 「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる」と仰せられる。七百年来曽ってない大悪が正系門家に起きたということは、いよいよ広宣流布・国立戒壇建立の御遺命が成就する大瑞なのであります。
また仏法は体、世間は影であれば、仏法がこのように乱れれば国もまた傾く。ここにいま、磁石が鉄を吸うごとくに、自然と隣国に不穏な動きが出てくる。日本をあなずり、日本を犯さんという動きが出てくるのであります。
このように仏法・世法ともに、大悪が現われてきたゆえに、いよいよ広布の最終段階が到来したというのであります。
このとき、大聖人様の御化導のお手伝いをするのは、命かけて御遺命を守り奉り、解散処分を受けるとも七十六万の死身弘法を成し遂げた顕正会を除いて、日本国の中に、誰人が、どの団体がありましょうか。
そして顕正会は、大聖人様の仰せのままの御奉公をなすがゆえに、一人ひとりが功徳を頂けるのであります。
広宣流布とは、自分が幸せになりながら人を救う大運動であります。さあ、新本部会館が建てられての第一年、新しい戦いの第一年。八十五万をめざして、みんなで明るく堂々の前進を開始しようではありませんか。
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