冨士大石寺顕正会の基礎知識


menu

  概要
  沿革
  規約
  目的
  会館
  弘通
  広報
  出版
  教義
  Q&A
  メール
  更新
顕正新聞 平成十三年七月五日号

会長 浅井先生講演
    巨大地震前に何としても百万を
 
東海地震発生は「2002年暮れから2004年」か


 先ほど発表された如く、六月の折伏弘通は一万二千八二八名。ついにこの六月、所期の如く八十万法城は厳然と屹立いたしました。( 略 )

      二大氷山眼前

 文部科学省の防災科学技術研究所・高度震源解析研究室、松村正三室長のコメントを次のように紹介いたしました。

 「フィリピン海プレートとユーラシアプレートは、通常がっちりと噛み合っているが、その噛み合っている部分が一気に崩壊する時,巨大地震が起きる。
 そこに至るまでは、いくつかのステップがあるが、まず96年10月に一部が崩壊して滑ったと思われる地震が起きた。その34ヶ月後の99年8月、微小地震の起き方が変わり、別のステップに入った。
 その14ヶ月後の昨年10月に、また別の変化があった。更に、6ヶ月後の今年4月3日に,静岡でM5の地震が起きた。こうして見ると、変化から変化までのインターバルが短くなっていることがわかる。
 本震が来るまでに、どれぐらいのステップがあるかは、正確には解らないが、ただ言えることは確実に、東海地震が近づいていることを意味している
」と。

 ここで指摘されているように、固着域が剥がれ出した。その最初が96年10月,34ヶ月後に第二回の剥がれ、その14ヶ月後に第三回の剥がれ、更にその6ヶ月後に第四回の剥がれが起きている。その間隔は34ヶ月、14ヶ月、6ヶ月と、だんだん短くなっている。このことを松村室長は非常に危惧してるんですね。
 ところが壮年部大会を終えて五月三十一日から六月三日にかけ、四月三日に起きた静岡地震とほぼ同じ場所で、M5を含むM4クラスの地震が、4回連発したのです。第四回の剥がれからわずか二ヶ月。インターバルはますます短くなってきているのです。

 ボルトが抜けた

 このことについて、松村室長はこう述べております。
 「
私はこれをプレートの固着域の中でも特に固着がきつい『アスペリティ』と呼ばれる部分が剥がれたものだと思っております。アスペリティとは固着域がもしボルトで固定されているとしたら、そのボルトにあたる部分だと言われている。そのボルトが一本抜けたということですから、非常に危惧される状況です。ボルトが抜けて一気にプレートが滑るとき、東海地震が発生するのです」と。

 東海地震発生時期

 そうした中で六月二十一日付の静岡新聞には、この松村室長が所属する防災科学技術研究所の企画部長である岡田義光氏の、東海地震についての見解が載せられた。岡田企画部長はその中で、東海地震の発生時期について「松村室長の解析結果だが・・・」とことわった上で、こう発表した。
 「
東海地震の発生時期は二〇〇二年の暮れから二〇〇三年である」と。

 これは容易ならざることです。二十年来ししとして東海地域の微少地震観測を続けてきた松村正三室長の解析結果とすれば聞き流せない。よって私は顕正新聞の職員に、直接松村室長に確認するよう指示した。松村室長は、静岡新聞にこれが発表されたのを知らなかったらしく、驚いていとのこと。しかし、たいへん率直・親切にコメントしてくれた。「
この発生時期は、最近のあらゆるデータを独自の数式に入力して得られたものです。ただし公表したものではありません。結果を岡田企画部長にだけ伝えたものであります」と。
 松村室長は文部科学省所属の学者であるから、もし発表時期を公表すればあまりに影響が大きい。ゆえにこれを避けたものと思われる。しかし、この研究結果は非常に重大です。

 もう一つの研究結果

 そしてもう一つ、東海地震の発生時期についての発表が最近あった。
 これは東京大学地殻化学実験施設の五十嵐丈二助教授が、地球化学関連の学会で公表したもので、六月十八日付の日本経済新聞にその概要が掲載されております。

 五十嵐助教授は御前崎の測量データを参考にフラクタル理論式を使って変動グラフを作成した。このグラフとデータは、非常によく一致するだけでなく、グラフ作成後に得た約一年半分の新規データを入れても、よく一致したということです。
 その研究結果として、五十嵐助教授は東海地震の発生時期を「
二〇〇四年二月プラスマイナス〇・八年(十ヶ月)」と発表しております。

 この五十嵐助教授の発表について松村室長がどのような見解を持っているか、このことが気になったので、また私は顕正新聞の職員に尋ねさせた。松村室長はこう述べてくれました。
 「
理論上の数式とデータが一致していることにびっくりしている。非常に興味深い結果が表れている。東海地震が一段と切迫していることは間違いない」と。

 「数年以内は確実」

 この二人の学者の見解は、その根拠から見ても、信頼性が高いと思われる。そして松村室長は「
二〇〇二年の暮れから二〇〇三年」と言い,五十嵐助教授は「二〇〇四年二月 プラスマイナス十ヶ月」と言う。
 この二説を総合すれば、東海地震の発生は、早ければ
二〇〇二年の暮れから、遅くても二〇〇四年のうち、ということになる。誤差を入れても「数年以内」ということは間違いないと、私は思っております。

 すでに
国家財政は危機的であり、何がなくても数年以内には破局にいたる。まして、巨大地震が発生すれば、それが決定的な引き鉄になることは疑いない。かくのごとく二つの氷山はいまや確実にカウントダウンを始めているのであります。

 発生までに百万を

 ここに私が念願することは、何としても巨大地震発生までに
百万を成し遂げたいということであります。もし巨大地震が起これば、それは恐るべき他国侵逼の前相、よって何としても、大地震の起こる前までに百万の大法城を築きたい。
 そして百万以後、いよいよ本格的な一国諌暁の戦いを開始しなければなりません。
 大聖人様は顕正会の前進をお待ちあそばす。さあ立正安国論の七月、全く新しい決意に立ち、八千突破の大折伏を以て、大聖人に応え奉ろうではありませんか。



                戻る


「 冨士大石寺顕正会の基礎知識 」サイト運営責任者 櫻川 忠