|
顕正新聞 平成十三年十月二十五日号
日蓮大聖人の御大会式 謹んで奉修
“広宣流布・滅後実現”の聖意拝し奉る
浅井先生の講演
良医とは日蓮大聖人
ついで先生は「 広宣流布が御在世でなく滅後に成就することは、すでに寿量品にはっきりと説かれている」として、文底下種の寿量品の「良医の譬え」を引いて、これを示された。
「良医の譬え」とは大要つぎのごときものである。
--- 父たる良医が他国に行っている留守に、多くの子供たちが他の毒薬を誤って飲んでしまった。毒は発し、大地にころげまわり苦しんでいるところに、父が帰って来た。子供たちは父を見て大いに喜び、「更に寿命を賜え」と救いを求めた。父は子の苦悩するを見て、さっそく色も香りも昧も具足した素晴らしい大良薬を作り与えた。しかし、子供の中で、本心を失わない者は直ちにこの良薬を服して病を治すことができたが、本心を失った子供等は、良薬を与えられても「而謂不美」(而も美からずと謂えり)とて、薬を飲むことを拒んだ。父の良医は、この本心を失った子らを不憫に思い、大方便を設け、ついにこの子供たちを救い切った
--- と。
先生は、この譬えについて「良医」とは末法の御本仏・日蓮大聖人の御事。「多くの子供たち」とは末法の一切衆生。子供たちに与えられた「大良薬」とは南無妙法蓮華経の御本尊。「本心を失わざる者」とは、御本尊を素直に信じ南無妙法蓮華経と唱え奉った御在世の四条殿・富木殿・上野殿等の方々であり、「本心を失った者」とは御在世の逆縁の大衆であること等を、明快に解説された。
是好良薬・今留在此
なかでも 「汝等当知・我今衰老・死時已至・是好良薬・今留在此・汝可取服・勿憂不差
・・・」については
「 毒気深く入って本心を失い、薬を飲まなかった子達に対して、父たる大聖人様は、『此の子あわれむべし』と思われて、こう仰せられた。『 我今衰老・死時已至・是好良薬・今留在此・汝可取服・勿憂不差』と。これ御入滅の三年前に、戒壇の大御本尊を御図顕され、滅後の一切衆生のために留め置かれたということ。
『是の好き良薬』とは、本門戒壇の大御本尊の御事である。
『今留めて此に在く』とは、『此』とは一閻浮提の中には日本国に、本門戒壇の大御本尊を留め置かれたということ。
『汝取って服すべし』とは、御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えること。
『差えじと憂うること勿れ』とは、どんなに深刻な悩みがあっても、必ず解決することを、ここに証明して下さっておられる。
そして、『遣使還告』(使いを遣わして還って告ぐ)とは、大聖人の御入滅後に日興上人・日目上人が『日蓮上人の弟子日興』あるいは『日蓮上人の弟子日目』とお名乗りあって、国主を諌暁されたことに当たる。
『自惟孤露・無復恃怙・常懐悲感・心遂醒悟』とは、大聖人に背く故に、時来たってついに一国全体が大罰を受け、国まさに滅びんとするとき、始めて目が醒めるということである。
『即ち取って之を服す』とは、一国一同、戒壇の大御本尊に南無し奉ったとき、国立戒壇がいよいよ建立され、その国立戒壇に戒壇の大御本尊様がお出ましになること。すなわち日本国の一切衆生の前に、大聖人様がそのお姿を現わし給うという事である。
『我今衰老・死時已至・是好良薬・今留在此』とは、ご在世に順縁広布をあそばさずに、未来にそのことを御遺命せられたことの重大なる御指南である」と。
この先生の甚深の指導に、参列者一同、文底下種の寿量品に大聖人の御化導がはっきりと説かれていることを大感動のなか実感し、「減後の戒壇建立」の御聖意を深く命に刻んだ。
| |
戻る 次
|