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顕正新聞 平成十三年十一月五日号
本年最後の法戦 11月迎え大熱気
御大会式・九州大会の感動渦まく
怨嫉誹謗者の現罰に身震い!
浅井先生の講演
先生はまず「御大会式とは、御本仏日蓮大聖人の御入滅という深い悲しみの中に、常住不滅の御化導を拝して、何としても御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立の実現をと、心新たに誓い奉る、私たち仏弟子にとって最も大事な御報恩の儀式である」
「ことに本年は、大聖人御入滅より数えてちょうど七百二十年。そして広布最終段階を戦う法城として建てられた本部会館で、初めて奉修された御大会式である。ここにわたしは、これより最終段階の一年・一年を、この御大会式を中心として、いよいよ最後の御奉公を貫きたいと、決意を新たにしている」と述べられ、この御大会式の大精神を「十月十三日」を夢寐にも忘れ給わなかった日興上人・日目上人の御振舞いを挙げて示された。
「大聖人様の御葬送のとき、日興上人・日目上人は御柩を輿に載せまいらせ、肩に担い奉っている。このときの御心を恐れながら拝し奉れば『御本仏の大事の御遺命、この身命を捨てても・・・・・・』と。この御心以外にはあられないと、私は謹んで拝している。そしてこの御心が、日興上人の身延離山となり、四十数度の国家諌暁となり、日本列島全域へのあの驚異的な弘通となり、さらに日目上人の身命を捨てての最後の天奏となっているのである」と述べられた。
ついで先生は「九州にいよいよ広布の潮流が起きてきたこと、私はいま強く感じている。先日の九州大会といい、大分会館の御入仏式といい、その信心の熱気はたいへんなものだった。実は九州の遅れが気になっていた。九州が遅れては日本の広宣流布ができないと。しかし今、いよいよ九州に本格的な潮流が起きてきたことが嬉しい。私は、早ければ三年、遅くとも五年以内には九州全県に会館が建つことを確信している。七百年前、他国侵逼におののいた九州が、日本の広宣流布の起爆剤となることを確信している」と述べられたが、いよいよ最終段階を迎え、広布の潮流がテンポを上げて列島を覆い始めてきたことを、全員が肌身に感じた。
ついで先生は、この日、長崎の婦人部・中村ユリ子組長が報告した御在世の大進房を彷彿させるような学会幹部の現罰について言及。「誰人が御遺命に背き、誰人が御遺命を守り奉ったのか」という厳たる事実を隠してたばかる学会幹部の論法を一刀両断されるとともに、御遺命に背く者の大罰を見て御遺命を守り奉る顕正会の功徳を大確信すべきことを強々と叫ばれた。
最後に先生は世界情勢の激変にふれられ「全世界はやがて世界恐慌に陥り、さらに一閻浮提大闘諍の大渦に巻き込まれていく。これが『闘諍堅固』の時代相であり、広布前夜の世相なのである。この濁悪の世を救うのは、大聖人様が留め置き給うた三大秘法以外にはない。世界の動きのテンポはまことに早い。もし広宣流布のテンポが遅れたら、何とも大聖人様に申し訳ない。さあ、本年最後の大法戦、何としても一万五千を突破して、大聖人様に応え奉ろうではないか」と烈々と結ばれた。
先生の火を吐くような烈々の指導に、場内には歓喜と確信がうず巻き、万雷のごとき大拍手が鳴り響くなか、全員が本年最後の大法戦に熱鉄のごとき決意を固めた。
最後に「両眼滝のその日まで」を全員で熱唱。大合唱のあとも再び大拍手が長く長く続いた。かくて爆発的熱気みつるなか、十月度総幹部会は八時五十分に終了した。
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