冨士大石寺顕正会の基礎知識


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顕正新聞 平成十三年十一月十五日号


   日目上人御報恩勤行会 厳かに奉修
    「先師の地望を…」の大精神を深く拝す

 第三祖日目上人の六百六十九年御正当の御報恩勤行会が、十一月十五日、本部会館および同時放送の全国会館・事務所で厳粛に奉修された。

 本部会館ではこの日、地区部長・支区部長・隊長・区長等の代表幹部および有志会員約一千五百名が参列、三階の礼拝室は早々にぎっしりと埋め尽くされた。
 日目上人の御恩徳を偲び奉り、全員が真心の唱題を重ねるなか、定刻を十分繰り上げた午前六時五十分、浅井先生が着座、直ちに厳粛なる勤行が開始された。

 勤行ののち先生は、「日興跡条条事」の一節を朗々と奉読された。
 「
右、日目は十五の歳、日興に値うて法華を信じてより以来(このかた)、七十三歳の老体に至る、敢えて違失の儀なし。十七の歳、日蓮聖人の所に詣で、御存生七年の間常随給仕し、御遷化の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依って、此くの如く書き置く所なり。仍って後の為、証状件の如し
 この「日興跡条条事」は日興上人より日目上人への御付嘱状である。

 先生は冒頭に 「
日目上人という御方は、大使命を以て御出現せられた御方である。すなわち、下種の三宝に仕え奉り、御遺命を重しとすること、かくのごとくあれかしということを、後代の我ら末弟に身を以てお教え下さった尊い御方である」と述べられたのち、日目上人の恩徳を偲び奉って、大聖人御在生七箇年の間の赤誠の常随給仕、東北の宮城まで何度も往復され多数の法華堂を建てられた死身弘法、また日興上人と一体不二の御境界であられたことを示す大石寺落成時の内々の血脈相承、さらに日興上人御遷化の年に鎌倉幕府滅亡・建武の中興を眼前にして捨身の天奏に立たれた尊い御振舞い等を、約十五分間にわたり、別掲のごとく一語一語かみしめるように指導された。

 日目上人の深きご心情を如実に拝し奉る先生の切々たる指導に、場内にはすすり泣きの声が漏れ、大感動がみなぎった。
 さらに先生は、最後天奏における「
日目、先師の地望を遂げんがために…」との御心を忘れて御遺命を抛った、現在の学会・宗門の腐敗堕落を痛烈に指摘され、最後に 「先師の地望』を全く忘れた今の濁乱の宗門の中にあって、顕正会だけが御遺命を守り奉り、国立戒壇めざして身を捨てて御奉公のできること、何と有難いことであろう。顕正会こそ、この日目上人の御心を体して、何としても死身弘法を成しとげ、大聖人様、日興上人、日目上人に、応え奉ろうではないか」と列々と結ばれた。

 先生の熱情こもる感動的な指導は、参列者一同の命に染み入り、「
先師の地望」達成に熱涙の決意を固めた。
 かくて日目上人への深き御報恩の念が湧き上がるなかに、日目上人御報恩勤行会は終了した。

   浅井先生講演・日目上人御報恩勤行会

      
                          



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